風土記の「久牟社」に相当する。 「久武神社」と「出西八幡宮」の2社がひとつの境内にある。 社伝によると、現在地は三度目あるいは四度目の移転地と伝えられる。 創建時は現在地の東南方向約300mの弥山の山麓にあったといわれている。 社伝に、八岐大蛇を退治した素盞鳴尊がこの郷に帰られ、稲田姫命と結ばれたとき、多くの雲が立ち上がり、歓喜された素盞鳴尊は 「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに」と詠われた。当地に「雲社」として創建されたという。 |
久武神社 神社略記 久武神社(氏神社)祭神素盞鳴命 本殿大社造り 由緒 出雲国風土記に久牟社とあり、延喜式内社であった。現鎮座地は四度目の地といわれ、江戸時代中期に遷座されたお社である。 素盞鳴命が八俣大蛇退治の砌、稲田姫命をこの郷の稲城にかくまって退治におもむかわれた。そして退治後この郷に帰られて稲田姫命にお会いになると、命の功績を祝うかのように多くの雲が立ち上がり、二神をとりまいた。歓喜された命は 「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに」と咏われたという。 このような由緒によって、この地は古代から出雲国出雲郡出雲郷といい、出雲の原郷にふさわしい御社名久牟社・久武社(雲社)が鎮座されている。 八幡宮 祭神誉田別命 本殿流れ造り 由緒 第一五代應神天皇の御神名である。 命は国際的な視野を持ち積極的にその威を国の内外に示すとともに、外国の文物をとりいれて、我が国の文学産業などの礎を築かれた神として崇敬されている。 このお社は、室町時代末期に氏神として勧請されたもので、以降氏神社として崇敬されてきた。しかし明治三年政府の方針に従い、式内社であった久武神社を氏神社としたので、現在は産土神として鎮座されている。 社頭掲示板 |