久武神社
くむじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】久武神社 出雲国 出雲郡鎮座

   【現社名】久武神社
   【住所】島根県出雲市斐川町出西字随心1834
       北緯35度21分39秒、東経132度48分3秒
   【祭神】素盞嗚尊
   【例祭】5月16日 春季大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「久牟社」『出雲国風土記』
       明治4年12月村社
       明治39年4月神饌幣帛料供進神社指定


   【関係氏族】
   【鎮座地】創建時は現在地の東南方向約300mの弥山の山麓に鎮座
        現鎮座地は四度目の地
        江戸時代中期に遷座現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「文武神社」「久茂大明神」と称していた
   【社殿】本殿大社造曽木葺
       幣殿・拝殿

   【境内社】若宮神社・稲荷神社・美保神社
   【境内図】 境内図

風土記の「久牟社」に相当する。
「久武神社」と「出西八幡宮」の2社がひとつの境内にある。
社伝によると、現在地は三度目あるいは四度目の移転地と伝えられる。
創建時は現在地の東南方向約300mの弥山の山麓にあったといわれている。
社伝に、八岐大蛇を退治した素盞鳴尊がこの郷に帰られ、稲田姫命と結ばれたとき、多くの雲が立ち上がり、歓喜された素盞鳴尊は 「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに」と詠われた。当地に「雲社」として創建されたという。


久武神社

神社略記
久武神社(氏神社)祭神素盞鳴命 本殿大社造り
由緒 出雲国風土記に久牟社とあり、延喜式内社であった。現鎮座地は四度目の地といわれ、江戸時代中期に遷座されたお社である。
 素盞鳴命が八俣大蛇退治の砌、稲田姫命をこの郷の稲城にかくまって退治におもむかわれた。そして退治後この郷に帰られて稲田姫命にお会いになると、命の功績を祝うかのように多くの雲が立ち上がり、二神をとりまいた。歓喜された命は 「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに」と咏われたという。
 このような由緒によって、この地は古代から出雲国出雲郡出雲郷といい、出雲の原郷にふさわしい御社名久牟社・久武社(雲社)が鎮座されている。
八幡宮 祭神誉田別命 本殿流れ造り
由緒 第一五代應神天皇の御神名である。
 命は国際的な視野を持ち積極的にその威を国の内外に示すとともに、外国の文物をとりいれて、我が国の文学産業などの礎を築かれた神として崇敬されている。
 このお社は、室町時代末期に氏神として勧請されたもので、以降氏神社として崇敬されてきた。しかし明治三年政府の方針に従い、式内社であった久武神社を氏神社としたので、現在は産土神として鎮座されている。

社頭掲示板



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