万九千神社
まんくせんじんじゃ
立虫神社 境内社
所在地 社名















   【延喜式神名帳】神代神社 出雲国 出雲郡鎮座
          (本社)立虫神社

   【現社名】万九千神社
   【住所】島根県簸川郡斐川町併川258
       北緯35度22分29秒、東経132度47分13秒
   【祭神】櫛御気奴命 大名牟遅命 少彦名命 八百万神
   【例祭】11月26日 例大祭
   【社格】
   【由緒】天平5年(733)2月30日「神代社」『出雲国風土記』
       天和3年(1683)万九千大明神と称
       寛延4年(1751)神立大明神(立虫神社)の相殿
       天保4年(1833)万九千大明神と称

   【関係氏族】
   【鎮座地】現立虫神社の境内の南方約200mの森地に鎮座
        その後立虫神社の境内現在の地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「万九千大明神」と称していた
   【公式HP】 万九千神社
   【社殿】本殿なし 神籠磐境
       拝殿

   【境内社】

出雲国風土記の「神代社」に相当する。立虫神社の境内社。本殿無く神籠磐境を祀る。
旧暦10月26日に神送りの神事がある。つまり神在月の出雲に集まった神々が、いよいよ帰国されるときに集まる社として知られている。この神事をカラサデ(神等去出)祭りともいう。この辺りの地名は神立ちとも言う。
神職が「お立ち」と唱えながら、梅の枝で幣殿の扉を打つことによって神々を送る。


万九千神社

万九千神社(式内神代神社)
 御祭神 櫛御気奴命・大穴牟遅命・少彦名命・八百萬神
当社は延喜式、出雲風土記等所載の古い御社であります。
 出雲では全国八百萬神が毎年旧暦十月十一日から七日間出雲大社へ神集われ神在祭が執行されます。引きつづいて佐太神社において神在祭が執行され、最後に当社に神集い、幽議をなされ、同月二十六日には当神社より諸国の神社へ帰国の途におつきになります。そこでこの意味において、当地方では、この日を神等去出(カラサデ)ともいい、当社の鎮座地が神立という地名であることもこれに由来するといわれています。  古来、旧暦10月を出雲国においては神在月と称し、当神社においても17日より26日までを神在といい、日供を献じ、国家貞祥、宝祚万歳、五穀豊穣、諸産業の繁栄を祈念しつつ二十六日の大祭日(神等去出祭)を迎えるのであります。
 地元においては、この日の夜間は特に静粛を旨として、外出を慎しみ静かに神々をお送りする風習が今も残っております。
 なお17日より26日の間は、神々の会議を邪魔しないようにと奉楽など歌舞音曲を一切厳禁してあり、僅かに鈴の音が聞こえるのみであります。
 いずれにしても当社は、古代でいう出雲郡神戸里に属し、神奈備山を、あおぎ見る位置にあることから斐伊川の恩恵を受け、実り豊かな大地のもと、神々の交流の地として、その由来は極めて古いことになると言えます。
 例大祭日 11月26日(新暦)

社頭掲示板



万九千神社

万九千神社は、神在祭(毎年の神在月、旧暦10月)に際し、全国から出雲へと参集された八百万神が最後にお立ち寄りになるとの神話を今に伝えています。 八百万神は当社において、出雲路における神議り(かみはかり)を締め括り、神宴(直会=なおらい)を催したのち、神在月26日から翌未明にかけて諸国へとお旅立ち(神等去出=からさで)なさるとされています。
遥かいにしえより、「不動の霊地」とされる鎮座地周辺は、古代、出雲国出雲郡神戸郷(いずもぐんかむべごう)と呼ばれていました。神戸とは、熊野大神と杵築大神の御神領のこと。水路と陸路における交通の要衝として、また斐伊川下流域に広がる稔り豊かな大地の鎮めとして、重要な祭場として今に至っています。
万九千社の創祀、創建は定かではなく、奈良時代に編まれた『出雲国風土記』や平安時代の『延喜式』にみえる「神代(かむしろ)社」、「神代神社」が、のちの「万九千社」にあたると伝えています。少なくとも約1300年前には、その歴史をさかのぼることができます。中世になると、当社は「神立(かんだち)社」(鎌倉時代頃)や「神達(かんだち)社」(安土桃山時代)と称されていました。近世になると、「神立大明神」、「万九千大神」などと称され、明治維新以降は、立虫神社(旧村社)の境内社(旧無格社)、「万九千社」として祭られています。
現在の神殿は、平成26年10月10日に明治11年以来、136年ぶりにお建て替えのうえ正遷宮されたものです。

公式HP



神等去出祭(からさで)

26日夕刻、まずは、宮司家伝来の神楽を伴う湯立神事が境内に忌み火で湯釜を沸かして行われます(平成29年再興)。これは、神々の旅立ちを前に、祭場、祭員、参列者はもとより、神々と人々の前途にまつわる全てのモノ、コトを清々しく祓い清めるものです。そして八百万神の御神威が弥栄に栄え益すことを祈ります。続いて浄闇の中、御神前では、八百万神に出雲からのお立ちの時が来たことを奉告する「神等去出神事」(からさでしんじ)が厳かに行われます。神事では、宮司が幣殿の戸を梅の小枝で「お立ち」と三度唱えながら叩く特殊な所作をします。近世の記録や伝承によれば、この神等去出祭は、かつて神社の南方約数十メートルの地点にあった、屋号「まくせ」と呼ぶ民家の表座敷で湯立神事を伴うものだったとか、古くは社頭の東南に仰ぎ見る神名火山(現仏経山)の麓で火を焚いて神々をお送りしたとも伝えられています。
さて、この晩、神々は当地において直会(なおらい)と呼ぶ酒宴を催し、明年の再会を期して、翌朝早くいよいよ各地の神社へと帰途につかれる。鎮座地周辺の地名「神立」(かんだち)はこれに由来する。地元では、古くより神在月における神々のお立ちを「からさで」と呼び慣わしてきた。この日は、何故か大風が吹き、雨や雪、みぞれもまじる荒天になることが多く、「お忌み荒れ」とか「万九千さん荒れ」とも呼ばれる。人々は、北西の季節風が吹きすさぶ、晩秋から初冬への厳しい季節の移り変わりに、神々の去来と神威の発揚を実感したのであろう。からさでの夜、地元では境内を覗いたり、外出したり、大声を出したりすると神罰があたると恐れ慎み、寝床について静かに神々をお送りする風習が伝えられている。しかし、こうした目に見えぬものに対する畏敬の年も年々薄らいでいくようでいささか寂しい気がする。
なお、当社ゆかりの神在祭、神等去出祭の伝承に基づいて、近くの斐伊川にかかる国道の橋名が、「神立橋」、「からさで大橋」と命名されている。

公式HP



万九千社と神立

古来、全國では旧暦十月を神無月というが、出雲では神在月と呼んでいる。全国の八百万神が出雲に集まられ、五穀豊穣や縁結びなどの目には見えない世界の神議をなさるからと伝えている。
稲佐の浜に迎えられた神々は、その後、出雲大社,佐太神社、万九干社をはじめ複数の神社に滞在のうえ神議されるという。
ここ万九干社では、10月26日(旧暦)夕暮れ、神々に出雲からのお立ちの時が来たことを告げる「神等去出神事」が厳かに行われる。そしてその夜、神々は直会と呼ぶ酒宴を催され明年の再会を期して帰路につかれるという。人々は神々のお立ちを「からさで」と称して静かに見送る風習を伝え、この地を「神立」と呼んでいる。
平成25年11月出雲市

社頭掲示板



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