鳥屋神社
とやじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】鳥屋神社 出雲国 出雲郡鎮座

   【現社名】鳥屋神社
   【住所】島根県出雲市斐川町鳥井815
       北緯35度23分35秒、東経132度47分36秒
   【祭神】建御名方神 大国主神 事代主神 少名彦神 八十神 天菩比神
       天若日子神 天照大神 八百萬神 宇加之魂神 天照大神 疫神

   【例祭】11月1日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「鳥屋社」『出雲国風土記』
       寛永2年(1625)造営
       慶安3年(1650)造営
       寛文2年(1661)造営
       享保11年(1716)造営
       宝暦10年(1751)造営
       安永5年(1776)造営
       寛政5年(1789)造営
       明治4年12月村社
       明治39年神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「諏訪大明神」と称していた
   【社殿】本殿大社造合金板葺
       拝殿

   【境内社】稲荷神社・伊勢宮・八百萬社・荒神社・社日社・龍王社

風土記の「鳥屋社」に相当する。
この地は垂仁天皇の皇子誉津別命又湯河桁命をも齋奉りて鵠鳥(くぐい)を捕えた時の旧跡と伝わっている。
この地は斐伊川東流の分岐点にあたり、数度の氾濫によつて当社の変遷も大きかつたと想像される。
境内に「 出雲国国譲り決戦の地 ( 発祥地 ) 」 と書かれた掲示板がある。


鳥屋社と建御名方命

古事記、国譲りの条に「国譲りに最後まで反抗された、出雲国唯一剛勇の神 建御名方命は、高天原からの国譲り交渉の使者 建御雷命に対して、千引きの岩を両手で捧げ“我が国に来てわけも無いのに国を譲れとはけしからん”と、その岩を投げつけられた。しかし、建御雷命は巧みにそれを避けて反撃。二神の争いはしばらく続いたが、建御名方命の力及ばず信濃の国の諏訪まで逃げられ、ついに降参され国譲りを認められた」とある。
 投げられた千引きの岩は内海に立ち、そこへ多くの鵠(白鳥)が群がった。里人達はその風景がまさに鳥小屋のように見えたので、この地が鳥屋という地名になった。そしてその岩の上に建御名方命ご鎮座の鳥屋社が造営されている。

社頭掲示板



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