八束意美豆努神が国引神事の後、神名火山の嶺より地理を見て「八雲立出雲八重垣云」と御歌唱え給いて神門水海に近くこの豊かな土地に鎮座し出雲社とした。霊亀元年(715)出雲國造出雲冶郎信正の三男出雲信俊此の里に分家しその遠祖神を配祀祭神を以て里人氏神と称し富大明神と称した。 |
富神社 主祭神 八束水臣津野命 由緒 社伝によると、八束水臣津野命が「八雲立つ出雲国は幅の狭い布のように細長い国だ、どこかに土地の余りがあればそれを引いてきて繋ぎ合わせて広くしよう」と、出雲郡の神名火山(仏経山)の山上に立ち、国引きを思いつかれ、やがてその大事を成しとげられた後、この地に鎮座されたという。これによりこの地を出雲郷といい、社名も出雲社と云った、とある。 社頭掲示板 |
富神社 島根県出雲市斐川町富村595番地 一、主祭神 八束水臣津野命(意美豆努命とも見える洪水神) 天之冬衣命 一、合祀祭神 足名槌命 手名槌命 稲田姫命 国忍富命 布忍鳥鳴海命 七柱神 一、神紋 二重亀甲違丁子 一、例大祭 11月2日 一、由緒 古傳、八束水臣津野命は大水の主祭神で、出雪国風土記、国引き神話において国土創成の大業を成就された神である。出雲大川(斐伊川)地帯は、長い間に何回か東西に流路を変えつつ広大な沖積平野を修理造成し、神名火山(仏経山)の嶺より地理を見て「八雲立出雲八重垣云」御歌唱へ給ひてこの西の辺りは、土地がよく神門水海に近く此所に鎮座により出雲郷と云い社号を出雲社と云う。 聖武天皇御代の和銅6年(713)に諸国の風土記編集を命じられ出雲風土記出雲郡に神祇官社「出雲社」とあり諸々の古文書に記されている社である。 霊亀元年(715)出雲国造の三男出雲信俊此の里に分家し、我が遠祖神合祀祭神を以て此の里人氏神と称し富大明神と云い、富村となった。 神主三代目の出雲俊里、延暦14年(795)に田の中に屋敷があり草花や草木多い所から家の名を花田家(社家)となした。 明治4年に社名改正し村社「富神社」に改める。宝亀4年(773)頃、正倉院は一郡一倉を置き、出雲郡では、この富村に郡家正倉の蔵屋敷があった。 天文9年(1540)大庭村、熊野神杜御火継祭に出雲大社上官以下多数の祭員を随へて出雲郡富村に別邸干家、北島両国造のそれぞれの御殿があり、そこに往復宿泊された古事に習い明治2年(1869)迄、出雲社に参詣された社である。 こうした由来により当社の御遷宮の度に両国造から、大提灯を奉り参列される社である。 社頭掲示板 |