諏訪神社
すわじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】出雲神社 出雲国 出雲郡鎮座
   【延喜式神名帳】同社韓国伊大氏神社 出雲国 出雲郡鎮座
          (合祀)同社韓国伊大氏神社

   【現社名】諏訪神社
   【住所】島根県出雲市別所町72
       北緯35度25分40秒、東経132度44分49秒
   【祭神】武御名方神 八束水臣津野神
   【例祭】4月9日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「出雲社」『出雲国風土記』
       天正12年(1584)造営
       明治5年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿大社造柿葺
       拝殿

   【境内社】山神社

出雲国風土記に「出雲社」とある神社。
出雲神社は鰐淵寺が造立されて以後、この地に遷座され、鰐淵寺住職によつて祀られ、一般民間人の信仰の対象となつていた。そして明治3年になつて祭祀が神職側に移され、今日に至つた。
「元は「出雲社」として「八束水臣津野命」を祀っており、唐川に鰐淵寺が創建された後そこに「諏訪神社」が勧請され、別所鰐淵寺創建の頃合祀され、以後「諏訪神社」と呼ばれるようになったのだと思われる。
より大胆に記せば、本来の社地は現別所鰐淵寺境内であり、別所鰐淵寺創建の際帆柱山山中に移され、更に鉱山開発のために現社地に移されたのだと考え得る。」(風姿)


諏訪神社

諏訪明神 健御名方命なり、本社三尺に三尺五寸南向き、拜殿一間半に三間、祭礼十月廿七日なり、宮山高さ四十間あまりの岩壁あり、傍に高さ三十間周五丈ばかりの丸き立岩あり、世俗是を帆柱石という。
 此石のほとりに本社あり、此立石を檣(かち)石ともいう、俚民伝て云鰐淵寺開山智春上人信濃国より来たまうとき、老翁三人迎に船にて出たまい、その後老翁三所へ飛去ぬ、一人は今の諏訪明神なり、彼船具を分ちたまう時當此明神は檣をとり給う、今の帆柱石なりという。
 天正十二年造立の棟札あれども鎭座勧請詳ならす、或人の曰【風土記】に載る出雲郡出雲社是なりという、土人白瀧権現とも号す。

雲陽誌



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