風土記の「宇加社」に相当する。 宇賀郷は、主として島根半島の諸郷と共通の神魂命を奉齋する氏族集団の居住地であつた。その一族の最高の祀り主である高巫が、綾門日女命ではなかつたかと思われる。 『出雲国風土記』によれば、大己貴命と綾門日女命は夫婦。大己貴命が求婚した際、綾門日女命は当時の風習に従い、隠れた。 そこで大己貴命は、出雲大社を出て、弥山、鰐淵山を経て、宇峠のあたりを探した。それで宇賀という地名になったという。 |
由緒 宇賀神社の由緒 今を去る1,200年前、天平5年聖武天皇の御代、733年に作られたものに「出雲風土記」があります。これによると、8世紀はじめの出雲の状況を詳しく知ることができます。また出雲風土記から200年ばかりのちになってできた全国の神社を一覧したものに「延喜式」の神名帳があります。これに載せられている神社は、いわゆる「式内社」と申しまして由緒正しい古い神社であります。 わが宇賀神社は、この両方のいずれにも記載されておりまして、遠く長い昔から、私達の先祖代々の人達によって祭られて参りました。 出雲風土記によりますと、大己貴命が神むすびの命の御子である綾門姫命に求婚されました。ところが綾門姫命は承諾なさらないで、身を隠された。(求婚された女性が身を隠し、それを求婚者の男性がさがし出すのは当時の習慣であって、そのことは播磨風土記にもでております。)そこで大己貴命は、綾門姫命がどこへ身を隠されたのかと、出雲大社をでて、弥山、鰐淵山を経て宇峠のあたりを尋ね伺われた。それで宇賀という地名になったというのです。現在西北方を奥宇賀、東南方を口宇賀と称しております。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
宇賀神社の獅子舞 出雲市口宇賀町 宇賀神社奉納獅子舞楽保存会 出雲市口宇賀(くちうが)町に所在する宇賀神社には、既に江戸時代中期には舞われていた獅子舞が現在も伝承されています。記録をたどれば、宝暦14年(1764)の「楯縫(たてぬい)郡口宇賀村神社書出帳」に、「九月十九日 御神楽・神主社籠・獅子舞」とあるのを初見とします。この伝統ある獅子舞とともに、それと深くかかわる頭屋(とうや)制度にも旧来のしきたりが受け継がれています。頭屋は氏子の中から神籤(みくじ)で選任され、御分霊(わけみたま)を頭屋が自宅に迎える「頭屋入り」、また頭屋宅での「頭屋渡御祭(とぎょさい)」時にも獅子舞が奉納されます。獅子舞の本奉納は、頭屋宅から宇賀神社に御分霊が還幸されるに際してで、道中および社頭において、計10段の全てが演じられます。なお、舞の構成や形式には伊勢太神楽の影響が色濃く、「伊勢流獅子」に分類されています。島根県無形民俗文化財。 島根県立古代出雲歴史博物館 |