風土記の伊努社四社、伊農社三社のうちの一社に相当する。 一説には味耜高彦根命と一緒に御祭神の持つ剣をお祀りしている。 中世以来八王子信仰が到来定着していた間にも、古来の都我利神社の名はなお忘れられていなかったと思われる。 |
都我利神社 八王子味耜高彦根神をまつる。西の方に的場あり。此所にて百手の的あり。ヒキメの神事を行うと言い伝えたれども、慶長の頃(1596〜)よりその事はたえて今はなし。 当社の縁起なりと云い伝るを見るに、白雉3年(652)、此の社に勧請したり。八王子と称するは五男三女なり。或る書には都我利神社とあり。その神二坐味耜高彦根神と、彦根の神の持玉える剣を合祭ると云えり。剣は天稚彦の喪屋を斬り飛ばした剣で、我里または神戸の剣と云えり。天書に都我利という故に社の号となすなり。此の神神威有故に、大己貴命霊剣を援たもうといえり。郡郷山河原野に至るまで悉く平治し、春の耕し、夏の耘り(くさぎり)を教えたまう、故に味耜高彦根の神とは申すなり。伝にこの神は大己貴命の第八の御子なるが故に、八王子大明神と申奉るなり。 雲陽記 |