宇竜港の対岸の権現島に鎮座する。式内因佐神社に比定する説がある。 日御碕神社摂社であり、1月5日に和市刈神事が行われる場所である。 社伝によれば成務天皇6年1月5日、一羽のカモメが潮の滴る和布を口に加えて飛び来たりて神社の欄干に和布をかけて飛び去った。人々はその和布を真水で洗い神前に奉納したという故事に因んでいる。 和市刈神事の時宇竜港と、対岸の権現島に渡るための12艘の船橋が懸けられ、神職はその上を渡って島へ渡る。熊野神社は今日でも女性の参拝は遠慮願っているとのこと。 |
熊野神社 和布刈神事は、旧暦の一月五日、およそ二月頃に、ウミネコの逸話にちなみ権現島で採取した和布を日御碕神社に奉納し、合わせて漁民の安全・大漁を祈願します。旧暦正月の神事は、熊野神社がある権現島まで、船を十二隻並べてその先の島までは裸の男たちが海中から船を引き、橋板を渡して日御碕神社の神主を島に渡し和布を刈るというものです。 十月の第三土曜日の例祭では、船は権現島まで渡されて一般参拝者も熊野神社をまじかに参拝出来ます。女性の権現島への立ち入り禁忌となっています。普段は船で渡る必要があるため、誰でも簡単には立ち入れません。 島根半島四十二浦巡り |
熊野神社 熊野神社は宇竜港内の権現島に鎮座する日御碕神社境外摂社である。はたして「橋姫大明神」が現在の熊野神社であるかどうか明証はない。しかし、宇龍地域には熊野神社の他には小社の荒魂神社しかなく、江戸時代の『雲陽誌』にもみえる古社の熊野「権現」、現熊野神社が「橋姫大明神」の後継と考えて間違いないであろう。 「熊野」「橋姫」では余りにも社名に違和感がある。「橋姫」とは何であろうか。熊野神社には古伝の和布刈(めかり・若布の採集)神事があり、湾岸から祭場の熊野神社鎮座の権現島には船を介して板橋が架けられ、祭主の日御碕宮司がその橋を渡り祭祀を行うことになっている。その「橋」に因む名前であろうか。 島根半島四十二浦巡り 関 和彦 |