風土記の「阿受伎社」に相当する。 古くは杵築系神社とは違った系統の神社であったようだが、いつの間にか杵築大社の末社になっていた。 かってはこの地に阿須伎神社と称する同名の社が、出雲国風土記に38社、延喜式(905)に11社もあった。 延喜式記載の10社はすべて本殿内に合祀されている。 風土記記載社38社は現在本殿に合祀されている。合祀先については、異説もある。一つは、出雲大社の東西十九社、もう一つは、因佐神社。 古くは現在地から100mばかり奥の高みに在つたが、慶長15年(1610)の水害により現在地に遷した。(境外「三歳社」の近くであろうか) |
由緒 当神社の主祭神 阿遅須伎高日子根命は大国主命の長男神にして、かってはこの地に阿須伎神社と称する同名の社が、出雲国風土記に38社、延喜式(905)に11社もある、かっては著名な神社であったが現在は同名の社は当社を遺すのみである。 出雲大社の攝社として10月10日の例祭には出雲大社の宮司の名代が献幣使として参向する。 国土創成 農耕の神として崇敬をあつめている。旧郷社 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
阿須伎神社 延喜式内社 阿須伎神社由緒 出雲大社摂社 御祭神 阿遅須伎高日古根命 由緒 当社は延喜式(927)に11社、更に古い天平5年(733)の出雲国風土記には39社をかぞえるなどこの近在では、いちばん多くその名が見える由緒ある神社ですが、現在は当社を遺すのみで他の同名の社はすべて当社に合祀されたと伝えられています。 主祭神阿遅須伎高日古根命は大国主命の御長男神に坐して御父神と共に「切れ味のよい鋤」をおとりになって、国土創生におおいなる御神威を発動なされました。その御事蹟により、御名とともに御神徳が高くたたえられています。 社殿は昭和62年の遷宮時に鉄板葺に改められたが、大社造の古格をそのまま今日に伝え、その宏大な規模とともに貴重な文化財でもあります。 社頭掲示板 |