当社の旧社名は『出雲国風土記』に記載されている「宇美社(うみのやしろ)」であると伝えられている。現在「宇美社」は、宇美神社として、当社から南に約6キロ離れた平田町に鎮座しているが、当社地近辺が宇美神社の旧地ともされる。 ご神体の霊石は、緑色のシートにくるまれて、その周囲にたくさんの幣串(へいぐし)が立てられている。シートと幣串に包まれた円錐状のシルエットのなかに、どのような石が祀られているのか、その形状をうかがい知ることはできない。 |
石上神社 現在この塩津村(現在平田市塩津町)にある産土社では社號を石上神社と称し、祭神を布都御魂とし、そして式内宇美神社であると傳ヘてゐる。 因みにこの神社は中古海嘯で流亡し、長らく祀るものもなかつたところ、海中に御神体の霊石が沈んでゐるのを発見して現在地に奉齋したとのこと(年時不詳)で、それ以後石神神社(現在も本殿はなく霊石そのものが露出のまま御神体となつてゐる)と称してゐたが、同音から石上神社と書くやうになり、やがて大和國石上神宮に仮托して、旧祭神海童(海津見神)を布都御魂命とするに至つたといふのである。 式内社調査報告 |
石上神社 創立年代不詳なれど位下国風土記 ( 733年 ) に神祇官社宇美神社と記載されるのは当社のことである。 他に出雲風土記鈔、出雲国風土記解、出雲国神明帳、神祇全書第一韓と出雲国神明帖秘抄伊勢神宮蔵書に、宇美神社塩津村海童と記され海童は和田津見命即ち海神とされる。 平安時代延久元年 ( 1069年 ) 洪水海嘯 ( かいしょう ) のため社殿も人家も流出、其後暫く十三戸回復した時に、御神体である霊石が大浦沖の二ツ平島という島間の海底に沈んでいる旨、松村家の祖先某 ( 大浦・中居 ) に神告あり、之を今の社地に奉斎したと伝える。 爾来、里人は石神様と崇敬した。 石神 ( いしがみ ) が石上 ( いそのかみ ) に改められた大和の石上 ( いそのかみ )神宮が想起され、祭神を布都御魂命と誤ったものと思われる。 明治4年、船守神社に合祀、和泉定路翁は古社の由緒を具し再興出願、明治9年復旧、大正11年村社に列せられ、神饌幣帛供進神社に指定される。 龍神社 大彦龍命 県内で他に奉祭なし。 大姫龍命 水や航海、雨乞いの守護神。 稲荷神社 稲倉魂命 荒神社 須佐之男命 社頭掲示板 |