宇美神社
うみじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】宇美神社 出雲国 楯縫郡鎮座

   【現社名】宇美神社
   【住所】島根県出雲市平田町688-1
       北緯35度26分13秒、東経132度49分7秒
   【祭神】布都御魂神
       (配祀)伊弉册尊 速玉之男命 事解之男命 天兒屋根命 太玉命 手力雄神 大歳神

   【例祭】10月12日 例大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「宇美社」『出雲国風土記』
       応永元年(1394)熊野権現をこの地に勧請
       天正16年(1588)七社(熊野権現・廻大明神外三社と平田天満宮・伊勢宮)を集併
       元禄6年(1693)「廻大明神」と称
       宝暦9年(1759)「廻大明神、右式内宇美神社」と記載
       明治5年宇美神社と改称郷社
       大正9年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】古くは沼田郷廻(さこ)の奥の丘陵上に鎮座
        塩津村(現在平田市塩津町)石上神社が旧地とする説もある
        天正16年(1588)この地に集併

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「廻大明神」「熊野権現」と称していた
   【社殿】本殿春日造檜皮葺
       幣殿・拝殿・社務所・神具舎・随神門

   【境内社】天満宮・祖神社・金屋子神社・海童神社

出雲国風土記の「宇美社」に相当する。
布都御魂神は書紀の経津主神の別名だとし、この神が出雲国に下られる時、海上から楯縫の地にご上陸になつたのに因んで創祀と伝。
古くは沼田郷廻(さこ)の奥(現在平田市平田町愛宕町廻)の丘陵上に鎮座していたため廻大明神と俗称されていたが、天正16年(1588)、それまで平田村に熊野権現を中心として七社が散在していたのを、現社地で一社に集併したとき、この廻大明神も熊野権現に配祀された。
ただし、塩津町の石上神社がもとの宇美神社であったが、沼田郷の土豪長廻氏が廻の奥に移したという伝承もある。


宇美神社

祭神 布都御魂神
御由緒
出雲国風土記に当地は楯縫郡沼田郷と有り、当社は「宇美社」として記される古社であります。
社号「宇美」の起因は、祭神布都御魂神が出雲国にご来臨の際海上より御上陸になったところからこの社号ありと伝えられ、古来より国家鎮護、民生安穏、百事成就の守護神又武勇神として尊信されております。現境内地には応永元年(1394)本願小村家、杉原家の祖により紀伊熊野三山から御分霊を勧請し熊野権現社として奉称され、その後天正16年(1588)廻田に御鎮座の本願長廻家の氏神である廻大明神(宇美神社)を始め天満宮、春日神社、若宮神社、大歳神社、伊勢宮の七社をここに合祀しています。その後社号は熊野権現社、熊野神社、平田権現、平田神社、宇美神社、或いは俗に真薦の宮などと称されました。明治5年に宇美神社と改称。
昭和56年島根県神社庁より特別神社の指定を受け今に至る古社であり名社であります。

社頭掲示板



宇美神社

風土記に「宇美社」、延喜式に「宇美神社」と名を残す古社である。しかし、平田開発の一族である小村氏は同社を守護神・熊野権現神社として祀ってきた歴史がある。江戸中期の『雲陽誌』によれば当時平田村域にあった宇美神社といわれた廻大明大明神、天神など六社をその熊野神社に合祀したという。
明治になり国家神道体制下に入り、熊野神社は合祀されていた宇美神社(廻大明神)に社名変更を余儀なくされ、平田の開発の歴史を支えた熊野神社は従の位置におとしめられることになった。
小村和四郎は神主河瀬氏の理解も得て、また塩津の石上神社を宇美神社と主張する和泉藤次郎と連携し、明治14年に平田の神社を熊野神社、塩津の神社を宇美神社とするよう島根県令に請願書を出したが願いは叶わなかった。
現在、平田の神社は宇美神社を正称するが、拝殿内には「熊野神社」の扁額も「宇美神社」と並んで仲良く懸けられている。

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