佐香神社
さかじんじゃ 所在地 社名

















   【現社名】佐香神社
   【住所】島根県出雲市小境町108
       北緯35度28分12秒、東経132度52分50秒
   【祭神】久斯之神
   【例祭】10月13日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「佐加社」『出雲国風土記』
       明応9年(1500)再興
       天正6年(1578)「松尾大明神社」と称
       寛文8年(1668)造営
       安政3年(1856)「松尾神社」と称
       明治維新になつて名称を改めた
       明治5年郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「松尾大明神社」「松尾神社」と称していた
   【社殿】本殿大社造栃葺
       幣殿・拝殿・神饌殿

   【境内社】疫神社・武内神社・寳殿社・種痘神社・稲荷神社・松尾神社

疫神社・武内神社・寳殿社・種痘神社・稲荷神社・松尾神社
酒造りの神である久斯之神(くすのかみ)を祀っており、「出雲国風土記」に「百八十神等集い坐して、御厨をたてて給いて、酒を醸させ給いき。・・・・故、佐香といふ」とあり、酒造り発祥の地とされてきた。
享保2年(1717)の地誌『雲陽誌』の小境村の項に「松尾明神」とあり、それによれば明応9年(1500)の棟札があるとされ、室町時代には松尾大社の祭神が勧請されたと考えられる。江戸時代に入っても松江藩主を初め近隣の出雲杜氏たちの崇敬を集めていた。明治に入り社名を「佐香神社」に復したが、通称の「松尾神社」も併用されて現在に至る。
例大祭は濁酒祭(どぶろくまつり)とも呼ばれ、室町時代から続いているとされる。10月1日の未明に宮司自ら杜氏となって神酒の醸造を行い、祭礼の前日に国税庁の係員の検査を受ける。当日には酒造業者たちが集まり、安全を祈願する奉納祭が執り行われる。ちなみに当社では財務省より、祭礼のために毎年1石以下までのどぶろくの醸造の許可を得ている。


由緒

松尾神社(佐香神社)御由緒略記
出雲国風土記(天平5年2月)に、「佐香郷。都家の正東四里一百六十歩なり。佐香の河内に百八十神等集い坐して、御厨立て給いて、酒を醸させ給いき。即ち百八十日喜讌して解散坐しき。故、佐香という。」とある。
現在、当神社が鎮座されている小境は、出雲国風土記の「佐香」が転訛して、「古佐香井・古酒井・古酒恵・濃酒井」となったものといわれている。
主祭神の「久斯之神」は、いわゆる、「薬師の神」であり、さらに、出雲国風土記の古事にあるように、「酒造の神」でもある。また、「醸す」とは、ただに、酒を醸造することのみでなく、醤油・米酢・味噌等を醸造することでもある。
一方、大山咋命は、世に言う「山を護る神様」で、森林業、鉱山業の守護神である。
配祀神である天津彦彦火瓊瓊杵尊は、「海を護る神様」で、漁撈豊漁の神であるとともに、海上運航安全の神として広くあがめまつられている。
木花咲耶姫之命は、縁結びの神であり、安産の神である。
社殿の造営には、古来より、国造・国主の命によってなされており、国造・国主はもちろんのこと、藩主松平公ならびに、巡見使等、ことのほか崇敬されていた。これは、現在、社宝とされている鎧一領および文箱一式が、松平家より奉納されていることでもうかがわれる。
10月13日は秋季大祭である。この日を前後して、翌年2月ごろまで、酒造りの「杜氏」ならびに、各種醸造の関係者の参拝はあとを絶たない。しかも中国5県は言うに及ばず、遠く四国・九州・神戸の灘地域からも参詣され、御霊験はますますあらたかである。
明治29年11月19日付、勅令第287号酒造税法施行規則第45条に依り、「濁酒年一石以下無税」の許可を得て今日にいたり、大祭当日は、一般参拝者一同、この神酒を戴いて、家内安全、五穀豊穣を祈るのである。
佐香川の清き流れを汲む人は世にもまれなる酒醸すらん(千家尊紀)
千代八千代神世ながらに佐香の山ふるきみ山を仰ぐ尊さ(北島全孝)

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



佐香神社

松尾神社一佐香神社一御由緒略記
鎮座地  島根県平田市小境町108番地清水
神杜名 延長五年(九二七)撰進された延喜式には、佐香神杜とあり。くだりて、寛文8年(1668)に建立された棟札には松尾大明神とある。ともに、現在の松尾神杜(佐香神杜)のことである。
主祭神配祀神
久斯之神  天津彦彦火瓊瓊杵尊  百八十神等 大山咋命  木花咲耶姫之命
御由緒
出雲国風土記(天平5年2月)に、「佐香郷。都家の正東四里一百六十歩なり。佐香の河内に百八十神等集い坐して、御厨立て給いて、酒を醸させ給いき。即ち百八十日喜■して解散坐しき。故、佐香と云う。」とある。
現在、当神杜が鎮座されている小境は、出雲国風土記の「佐香」が転詑して、「古佐香井・古酒井・古酒恵・濃酒井」となったものといわれている。
主祭神の「久斯之神」は、いわゆる、「薬師の神」であり、さらに、出雲国風土記の古事にあるように、「酒造の神」でもある。また、「醸す」とは、ただに、酒を醸造することのみでなく、醤油・米酢・味嗜等を醸造することでもある。
一方、大山咋命は、世に言う「山を護る神様」で、森林業、鉱山業の守護神である。そして、配祀神である天津彦彦火瓊瓊杵尊は、「海を護る神様」で、漁労豊漁の神であるとともに、海上運航安全の神として広くあがめまつられている。
木花咲耶姫之命は、縁結びの神であり、安産の神である。
杜殿の造営には、古来より、国造・国主の命によってなされており、国造・国主はもちろんのこと、藩主松平公ならびに、巡見使等、ことのほか崇敬されていた。これは、現在、杜宝とされている鎧一領および文箱一式が、松平家より奉納されていることでもうかがわれる。
十月十三日は秋季大祭である。この日を前後して、翌年二月ごろまで、酒造りの「杜氏」ならびに、各種醸造の関係者の参拝はあとを絶たない。しかも中国五県は言うに及ばず、遠く、四国・九州・神戸の灘地域からも参詣され、御霊験はますますあらたかである。
明治二十九年十一月十九日付、勅令第二百八十七号酒造税法施行規則第四十五条に依り、「濁酒年一石以下無税」の許可を得て今日にいたり、大祭当日は、一般参拝者一同、この御神酒を戴いて、家内安全、五穀豊穣を祈るのである。
佐香川の清き流れを汲む人は世にもまれなる酒醸すらん  千家尊紀
千代八千代神世ながらに佐香の山ふるきみ山を仰ぐ尊さ  北島全孝

社頭掲示板



佐香神社 ( 松尾神社 )

出雲国風土記の楯縫 郡 には、佐香郷の地名の由来として、「 佐香の河内に百八十神 ( ももやそがみ ) 等集い坐して、御厨 ( みくりや ) 立て給いて酒を醸させ給いき。 即ち百八十日喜讌きて ( ももやそかさけみづきて ) 解散坐しき。」
とあり、多くの神が集まり、家を建てて酒を醸造し、何日も酒宴を続けたあと解散した、と記されています。
佐香神社は、酒造り発祥の地といわれ、毎年10月13日には、新米を使ったどぶろくを神前に供える例大祭が執り行われます。

社頭掲示板



佐香神社

出雲の国には酒造免許を持つ神社が2件あります。出雲大社と佐香神社です。そもそも出雲の酒は神社から始まったもので、神様に酒を供え神事の後に御神酒を頂き、神様との一体感を感じることが飲酒の目的であったようです。主食が米を原料とする宿命上、一般の人々が日常の楽しみとしてお酒が飲めるようになったのは、ごく近年の事なのです。
「楯縫之郷」(現在の島根半島西部、平田市)の中にある神々の酒宴の記述は日本最古の酒造りの記述で、その舞台となったのが、佐香神社です。現在も10月13日の大祭には濁酒を醸し盛大なお祭りが行われています。醸造の神様として酒造家・杜氏をはじめ、味噌・醤油製造の方たちからも深い信仰を集めています。

日本酒サービス研究会・酒匠研究会連合会



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