出雲国風土記の「久多美社」に相当する。 古伝によると當社はもと現在地の北方約2.5Kmの城山(寺床ともいう)の要害平という山頂に鎮座していた。明応5年(1496)火災に罹つて社殿が焼失し、御神体は一時西方の山腹の巨巌上に移られた。その後現在地に近い貴女社に奉遷された。 寛文9年(1669)現社地の南西池田に鎮座していた五社大明神をも合祀して杵築大社の古材を以て現在地に社殿を建立した。 |
玖潭神社 式内郷社玖潭神社 御祭神:大穴牟遲大神(外九柱) 祭礼日:4月3日・例大祭 境内社:天満宮、金刀比羅神社、八坂神社、若宮神社 由緒:延喜式神名帳に出雲国楯縫郡玖潭神社とある式内社で往古玖潭の総氏神であったと伝える。 風土記の玖潭の郷の條に「郡家の正西五里二百歩」なり所造天下大神明天の御飯田の御倉造り給はむところ巡行り給ひき其時波夜佐雨久多美乃山と詔り給ひき故恵美といふ神亀3年(726)字を「玖潭と改む」とある蓋し「天下造らしし大神命」とは当神社の祭神大穴牟遅命のことである 本社は現在の社地より20町余り(約2.2Km)北方城山要害平という山頂にあったが明応5年(1496)秋回録の災に罹り社殿悉皆焼失しその際御神体は西方に巨巌上に鎮座ましましたが之を貴女社(現在の荒神広にあった社)に奉遷し更に久多美社(五社明神)を合祀し玖潭神社として新に社殿を築き現在地に遷し奉った 社頭掲示板 |
玖潭神社 祭神 大穴牟遅大神 延喜式神名帳に出雲国楯縫郡玖潭神社とある式内社で往古玖潭の総氏神であったと伝える。風土記の玖潭の郷の條に「郡家の正西五里二百歩なり所造天下大神明の■■田の御倉造の給わむところ造り給いき 久多美乃山と詔り給いき故恵美と・・神亀三年・・・字を玖潭と改む」とある蓋し天下造らしむ大神とは当神社の祭神大穴牟遅命のことである本社は現在の社地を20町余り(約2.2Km)北方城山要害平という山頂にあったが明応5年(1496)秋回録の災に罹り社殿悉皆焼失しその際御神体は西方に巨巌上に鎮座ましましたが之を貴女社(現在の荒神広にあった社)に奉遷し更に久多美社(五社明神)を合祀し玖潭神社として新に社殿を築き現在地に遷し奉った 維昭和48年8月出雲大社教 久多見講社開講80周年記念祭の砌 社頭掲示板 |