出雲国風土記の「恵杼毛社」に相当する。 祭神「イワサカ」は「齋境」の意であり、この浄域で祭る神が磐坂日子であり石坂日女であつたと思われる。本殿裏の丘に、祭神が越しかけたという巨石(座王さん)がある。古代はこの大岩に対する祭祀が行われたか。 本殿頭上の座生石は、磐坂日子命が國巡行の際に坐したところ、または命の化身として崇敬されている。 江戸時代から恵曇の惠曇神社(江角大明神)との間で式社論争があった。 |
座王さん この石段を登った所より18m先の左側に三箇の巨石があって昔から「座王さん」と称しています。 これは恵曇神社の御祭神「磐坂日子命」が国土開発のため、その昔御国巡りの際の御腰掛の岩と伝えられています。 皆さんが参拝しやすいようにこの度石段を設置しました。 平成2年5月 恵曇神社 社頭掲示板 |
恵曇神社 畑垣の恵曇神社(はたがき えともじんじゃ) 畑垣の恵曇神社(はたがき えともじんじゃ)社の右上方に「座王さん」と呼ばれる巨岩がそびえ立っています。古代にはこうした巨岩や巨木に下ったり、神そのものとみなされることがあったようです。このような巨岩や巨木を磐境(いわさか)、磐座(いわくら)などと呼ばれます。『出雲国風土記』「秋鹿郡恵曇郷」の状にみえる恵曇郷の国身をした磐坂日子命(いわさかひこのみこと)という神の名は、この岩そのものとする説があります。古代人の信仰が想像できる遺跡です。 やはり巨岩を信仰していた類似の遺跡に宍道町女夫岩遺跡があります。 社頭掲示板 |
式社論争 恵曇の地名に因む社は風土記に三社、式内に一社あり、それぞれ何れにあてるかは地区住民にとって重要な問題であった。恵杼毛社は恵曇郷の本郷である畑垣の同社であり、恵曇町江角の恵曇神社は「恵曇海辺社・同じ海辺社」とする向きが強い。しかしながら、式内社の位置づけは複雑であり、元禄年間以来、江角浦神職から式内恵曇神社は江角であるとして永年の論争となる。そして、明治の当初旧松江縣の裁可により恵曇海辺社が延喜式所載の恵曇神社とされる。このことは、同社の崇敬者にとって甚だ遺憾な事象であり、『神国島根』の記述に拠れば「歴史を地理に全く 不明の者の所為」との声があったようだ。 出雲国神社めぐり |