垂水神社
たるみじんじゃ
国司神社 に合祀
所在地 社名














   【延喜式神名帳】垂水神社 出雲国 秋鹿郡鎮座
   【現社名】国司神社に合祀
   【住所】島根県松江市西長江町512
       北緯35度29分49秒、東経132度58分4秒
   【祭神】罔象女命
   【例祭】(国司神社)10月 9日 例大祭
   【社格】(国司神社)旧村社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「垂水社」『出雲国風土記』
       中古新宮神社に合祀
       明治42年新宮神社は国司神社に合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】西長江の川の川口より三十町許り溯つた所にあつた
        明治42年新宮神社は国司神社に合祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】
       

   【境内社】

出雲国風土記の「垂水社」に相当する。
西長江の川の川口より三十町許り溯つた所にあつた。中古廃絶し、新宮神社に合祀せられ、明治42年国司神社に合祀された。


由緒

国司神社由緒
当社勧請年暦不詳。慶長年間に旧社地本国司より現今の社地へ奉遷し、天正7年秋鹿鰐尾城主大廻三郎右衛門清長大に社殿を興し奉る。以来御社頭顕著なる変革なく、慶長3年永禄2年天保2年の梁簡を存す。明治5年村社に列せられ同41年神饌幣帛料供進の指定を受け、明治42年4月23日西長江鎮座新宮神社東長江鎮座姫二所神社を始めて天森神社日御埼神社を合祀した。中にも新宮神社は既に古昔垂水神社を合祀す。
右は式内垂水神社にして出雲風土記に在神祇官と挙げられ、神階正六位上に坐し延喜の官社に列せられ足日山の南麓なる河畔に鎮座ありしを河水漲溢して社地を冒し依て新宮神社に合祀し奉る。其の旧地は猶祭壇を存し例規の祭典を怠らず。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



國司神社とその周辺

昔、いつの頃か近くの者が杵築大社の分霊を受け、字國司に小祠を建てて祀っていた。
 後に現在地へそれを移したが、その年代は詳らかでない。最古の棟札によれば、天正7年(1579)10月10日、鰐尾城主長江村地頭大廻三郎右衛門清長が本願になり、国主大明神を再興したとある。
 祭神は国常立尊、大国主命、稲田姫命の三柱である。明治41〜42年に 往時、垂水社(式内社)を合祀してある西長江の新宮、東長江の姫二所、日御碕、天森の四社がこれに合祀された。
 三大祭は4月3日の祈年祭、10月9日の例祭、11月28日の新嘗祭である。
 神社の北方約100mに神宮寺があり、室町後期といわれる奈良佛師、康秀法眼作の薬師如来の像等が安置してあるが、起源は不明である。
 この後の山を「要害山」と称し、その頂上は鰐尾城に属する古塁跡と伝えられ、七畝ばかり平地で、第二段に馬乗馬場という場所がある。
 また黄金岩という金鶏伝説の大岩もある。

社頭掲示板



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