大井神社
おおいじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大井神社 出雲国 秋鹿郡鎮座

   【現社名】大井神社
   【住所】島根県松江市鹿島町名分1242
       北緯35度30分37秒、東経133度0分59秒
   【祭神】水罔象女神 大井乃神
   【例祭】10月18日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「大井社」『出雲国風土記』
       明治維新後村社
       大正4年多久神社の飛地境内社として合祀
       昭和26年10月に旧社地に社殿を造営

   【関係氏族】
   【鎮座地】もとは佐陀川の西岸に大井田という所に鎮座
        洪水で流され名分の小井社を大井社として式内社にした
        大正4年多久神社の飛地境内社として合祀
        昭和26年10月に旧社地に社殿を造営

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「大井宮神社」と称していた
   【社殿】本殿大社造銅板葺
       拝殿・樂殿

   【境内社】

佐太神社より南々東ヘ四町にあたり佐陀川の西岸に大井田という所があり、此処に大井社があつたのが、何時の頃か洪水で社殿が流されたので、佐太神社では摂社であつた名分の小井社を大井社として式内社にした。
大正4年多久神社の飛地境内社として合祀され、大正6年には社殿は取り払われ、社地のみが残された。昭和26年10月に旧社地に社殿を造営し復活することになった。
入り口の鳥居脇には、島根名水100選に指定されている大井の池があり、出雲風土記時代から今まで清冷な水が四季を通じて涸れることなく湧き出て、大井の地名の由来といわれる。
参道途中の尾根の上に「旧蹟」の碑あり。


大井神社

祭神 天照大神 誉田別命
   天兒屋根尊 建御霊神
   中筒之命 大国主命
   日本武尊
「出雲風土記」の大井社で
当時大国主命を奉祀していたが
後世に他の神を合祀した
例祭10月9日

社頭掲示板



大井神社

参道途上には旧社地を示す、式内大井神社跡の石碑があった。
名分の地名は嶋根郡に含まれて、東方より流来た講武川が南進する辺りで、まさに嶋根郡と秋鹿郡を分ける地域。風土記の嶋根郡に記載される大井社は、現在松江市大井町の大井神社に比定されており、旧鹿島町名分の同社は、明治初年に近隣八社を摂末社とした小井(ヲイ)神社であるとも伝えられる。しかしながら、雲陽誌の嶋根郡名分の頁には大井宮神社が大井神を祀るとも記されており、風土記社との関連は定説とはしがたい。
『旧講武村誌』に記される村内合祀の歴史を辿ると、官布による合祀の気勢にも関わらず、同社の氏子中は式内社の合祀に強く反対したとのこと。一時、多久神社の飛び地の境内社となる妥協案にて処置されたものの、大正六年についに合祀に至った。参道に残る石碑はこのころに、築かれたものであろう。その後、昭和二十六年多久神社遷宮にあたり七日市地区より同社再建の要請がおこり、現在の大井神社が再建される運びとなった。

出雲国神社めぐり



出雲国INDEXへ        TOPページへ



順悠社