尓佐能加志能爲神社
にさかしのいじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】尓佐能加志能爲神社 出雲国 島根郡鎮座
          (旧地)尓佐能加志能爲神社【旧地】

   【現社名】尓佐能加志能爲神社
   【住所】島根県松江市島根町野井155
       北緯35度35分5秒、東経133度6分57秒
   【祭神】大己貴命 天照大御神
   【例祭】10月27日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「爾佐加志能爲社」『出雲国風土記』
       長元7年(1034)8月の大風で吹き流された
       当浦日御崎神社に合殿
       寛政6年(1794)造営
       明治4年爾佐加志能爲神社と称
       明治5年村社
       明治42年11月6日神饌幣帛供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】旧社地は野井沖の加志島
        長元7年(1034)8月の大風で吹き流され現在の地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「神守大明神」と称していた
   【社殿】本殿春日造
       幣殿・拝殿

   【境内社】疫神社・疱瘡神社・若宮社・多賀神社・恵比須社
        築島社・梶島社・箱島恵比須社・木下宮


出雲国風土記の「爾佐加志能爲社」に相当する。
旧社地は野井沖に浮かぶ築島に続く加志島と伝えられている。
加志島とは、築島の梶の鼻から千切れかかっているように見える部分のことではないか。(地図参照)
長元7年(1034)8月の大風で吹き流され、当浦日御崎神社に合殿となった。
入り口右手に巨岩2つあり。石段左の巨岩には石段が掘られており、もとはこの上に何かあったか。
爾佐加志能為神社の旧社地は漁業組合辺りだったらしい


爾佐加志能為神社

現在、野井の神社といえば、「出霊国風土記」、そして「延喜式』にみえる古社「爾佐加志能為神社」である。同じ「爾佐」を冠する爾佐神社とは関係か深かったと思われ、立地も近いことが想定される。「爾佐加志能為」の社名の「能為」が現地名(野井)であることも気がつくと思う。
宝永7(1710)年の「雲州四十二浦之詠歌」にみえる野井の神社は日御崎神社であった。当時、古代の爾佐加志能為神社の系譜を引く、加無利明神(神守大明神)は零落し、椎の木を祭っていた。当然、参拝客は社殿をもつ新しい日御碕神社に参拝したが、明治に入り「延喜式」重視により、日御碕神社に、「加無利明神」を相殿にし、社名を古代の「爾佐加志能為神社」にして今日に至っている。「爾佐加志能為神社」の旧社地は野井の漁業組合附近てあった。
地域祭礼として一月第二日曜に行われる野井とんど、宮練がある。かつての旧社地字「神守様灘」に隣援して字「どんどが鼻」があるので、野井のとんどは江戸時代にざかのぼることがわかる。
島根半島四十二浦巡り再発見研究会

社頭掲示板



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