出雲国風土記の「爾佐社」に相当する。 国司の崇敬あつく毎年馬具と馬を献ぜられて盛大なる祭儀が行われた。その馬具も現在宝物として神社に保存する。 今は千酌小学校の校庭の一部になつているが、そこに大般若堂(神宮寺)があつた。 「都久豆美(つくつみの)命」という神名の、「つく」は月のことで、「つみ」は「わだつみ」とか「やまつみ」と言われる場合の、神霊を表す「つみ」ではなかったかと言われている。 志賀剛は『式内社の研究』で、爾佐神社の「にさ」は「にし(西)」の誤りで、当社の祭神は千酌から隠岐へ渡航する船にとって重要だった「西風の神」、つまり「航海安全の神」であったと考証している。それが後世に忘却され、復古神道の時代になってから『風土記』の記事にちなんで都久豆美命が祭神とされるようになったという。 |
尓佐神社 爾佐神社境内には、体長2m、高さ1.5mばかりの「流鏑馬神馬」の石像が拝殿右手にあります。爾佐神社では毎年4月3日の午後神社周辺で流鏑馬神事があります。県内では津和野町の鷲原八幡宮の、隠岐の島町の玉若酢命神社の流鏑馬が有名ですが、ここ爾佐神社の流鏑馬の歴史も古くて、およそ450年前に始まったと伝わります。ここでは、馬に若者が乗り、町内を巡り歩き竹ざおに付けた的を射て、住民の健康と地域の発展を祈念するものです。神事の後は、子供達も神馬に乗せて貰いますが、遠く記憶に残る体験であるに違いありません。 また、流鏑馬神事の終わりに拝殿の中で、神馬の御者二人の若者が拝殿内でこの神事が来年も続くよう祈り奉納相撲を行います。双方が一回ずつ勝ち、三回目は引き分けで勝負を終えることになっています。隠岐島の人情相撲に似た話です。相撲は神意を伺う行為であるとされています。大相撲は皇室神道として天皇に奉げられる神事で、天皇陛下が大相撲を観戦される「天覧相撲」を思い出しました。この奉納相撲は過去には日本相撲協会が視察に来られたこともあるとのことでした。 拝殿内の神前には、「出雲四十二浦と塩垢離歌」の奉納板があります。実際に奉納されたものは、古くなり、新調されたものであると聞きました。爾佐神社の当屋は、一年間禊の形として、毎朝海岸に出向き、もんば(藻)二本を拝殿前に奉納する行事が課されています。 美保神社の当屋のように毎日早朝海に入り、食事他禁忌に満ちた生活まではないとのことでしたが、塩垢離の生活の日々には違いありません。 1月6日には、やはり拝殿で御田植神事が行われますが、爾佐神社では、爾佐の「幣(ぬさ)」にちなみ農具は御幣によって行われます。海水に触れる場合は、神社を出て、道路を渡り、砂浜に出ます。 島根半島四十二浦巡り再発見研究会 |