風土記の「久良弥社」に相当する。 出雲国風土記に八束水臣津(やつかみづおみつ)野命が国引きしたという地域で、現在の佐陀川以東、手染郷に至る旧島根郡の大部分にあたる範囲が闇見国であった。『出雲国風土記』にある「闇見の国の総社」が当社であるという。 旧社地は南西へ1Km程の椋見谷の奥に宮床があり、椋見(くらみ)谷と呼ばれるところである。 雲深く社参に難義したので現在地に遷という。 元和9年(1633年)、大洪水に襲われたため、現在地に遷座し、社殿が建立された。 式内2社と、それを含む風土記記載3社、つまり「久良彌社」「波夜都武志社」「椋見社」が併せて祀られた。 |
久良弥神社 式内社 久良弥神社 出雲国 島根郡 式内社 波夜都武自別神社 出雲国 島根郡 ( はやつむじわけじんじゃ、合祀 ) 現社名 久良弥神社 旧社格 郷社 御祭神 闇於加美神 ( くらおかみのかみ ) 速都牟自別神 ( はやつむじわけのかみ ) 豊受媛神 ( とようけひめのかみ ) 八束水臣津野命 ( やつかみずおみつのみこと ) 都留支日子命 ( つるぎひこのみこと ) 建御名方命 ( たけみなかたのみこと ) 素戔嗚命 ( すさのおのみこと ) 宇迦御魂神 ( うかのみたまのかみ ) 境内外神社 諏訪神社・日御碕神社・荒神さん 由緒 当久良弥神社は、出雲国風土記 ( 733年撰 )の国引き神話にある闇見の国の総社である。 風土記には久良弥社・同波夜都牟自社 椋見社が見える。 闇見の国は、西は佐陀川以東、東は手角〜稲積の地溝から西、南は大橋川以北である。 闇見の 「 闇 ( 久良 ) 」 は、谷を意味し、「 見 ( 弥 ) 」 は大神が主宰照覧される意である。 この大神が支配する地を闇見の国といった。 久良弥神社の闇於加美神は、その御名のとおり闇見国を支配し、水の神でもある。 農業をはじめ諸々の産業を興し、同速都牟自別神は風邪を支配し、鉱工業・商業を発展させ民を守る神として崇敬されている。 文献を紐とくと文徳実録に仁寿元年 ( 851年 ) 九月乙酉出雲国速都牟自別神に従五位を授くとある。 当社の大神のことである。 延喜式神名帳 ( 927年 ) 久良弥神社は、出雲国風土記に久良弥社と見えたる神社とし、同波夜都武自別社と併書されている。 この2つのお社は、現在の社伝より南西約1km奥の久良弥谷の二ヶ所に祀られていた。 その場所は宮床・元宮の地名が今も残り、山林樹木の中に社殿があったらしき跡が残る。 今から約400年前、元和九年 ( 1633年 ) この地から現在地へ神社が下りられ、社殿が建立された。 その折、豊受媛神が奉斎された。 社殿が下りた理由は大洪水が襲ったことによるらしい。 明治2年 ( 1869年 ) 神社改の後、当社は郷社に格付され、島根郡六十六区内郷社久良弥神社と公称され、十二ヶ所村の叢氏神に指定されるとともに、内務省特選神社社名帳に登せられた。 明治42年 ( 1909年 ) 幣帛供進神社に指定せられた。 昭和37年 ( 1962年 ) 11月3日第遷宮が斎行された。 家内安全・交通安全・安産祈願・発参詣・七五三詣・厄年祈願・諸産業隆盛祈願 社頭掲示板 |