風土記の「多気社」に相当する。 上宇部尾村には、従来村社竹宮神社と無格社津森神社の二社があつた。 竹宮神社は女岳の山麓にあつて氏子の民家から遠隔地であり参拝に不便であつた。 明治41年5月3日津森神社の地跡に両社を合併し、社名を村社多気神社と復旧した。 天文年中より「多気」の字を「竹」に替えて竹宮と称したという。 |
多気神社 当社は出雲国風土記に多氣の社と出ており、延喜式神名帳にも掲載されている式内社である。 従来 この神社は竹宮神社と津森神社とあり、竹宮神社と称していた天文年間(1532〜1554年)には、多氣を竹の字にかけ竹宮と称していた。 元の神社は女嵩の山麓にあって参拝に不便のため、明治39年に協議の結果、津森神社と竹宮神社に合併の上、更に津森神社跡に竹宮神社を鎮祭した。明治41年5月2日のことである。 社名を村社 多氣神社と復旧(大正5年)し、現在に至っている。 なお、出雲国風土記の国引き神話に出てくる闇見の国に この地域も含まれている。闇見の国の闇見は暗く深い谷間を意味し、この上宇部尾町には椋見谷(くらみたに)の地名が残っている。 社頭掲示板 |