風土記の「加豆比高社」に相当する。 海抜182.8mの月山の頂上に鎮座する。 保元年間平氏の將悪七兵衛景清当国の守護となり、当山に居城を築いた。(注、現在の山中(ヤマナカ)御殿跡附近にあつたらしい)、当社を奥宮としを城内鎮守とした。 月山富田城は、最盛期には山陰山陽十一国を従えた戦国大名『尼子氏』歴代が本城とし山陰・山陽制覇の拠点とした。 出雲神話で、国造りの途中で少彦名命が常世に帰ってしまい、途方にくれて落ち込んでいる大国主命のもとに、海を照らしながらやってきた光は「我は幸魂・奇魂の神」と告げ、大国主命は立ち直って国造りを成し遂げる。 その地が、月山山頂であり、そこに大国主幸魂神を祀った。 |
由緒 延喜式上名帳に云う勝日高守神社、出雲風土記に云う加豆比高社是れなり、社殿は富田月山の頂上にあり祭神記に述ぶるが如く大己貴命其幸魂の神に御遇い玉いしはすなわち此の地なり。故に幸魂神を山上に祀りて奥宮勝日高守神社とし、山麓に大己貴神を祀りて里宮勝日神社とす。月山原と勝日山と云う境内に「かがみ石」と号する巌石あり、命此の地に於いて神光を見玉いしにより如斯号けしものなり、此の処より北に海洋を眺め山麓は当時入り海なりしと。今山麓に塩谷と云う氏子地あり往昔海湾なるの一証なり。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |