|
風土記の「都俾志呂社」に相当する。 社名は一貫し、中・近世にも変ることはなかつた。 もともといまの広瀬町の鍛冶町後丁の地に鎮座したが、火災・水害に遇い、寛文8年(1668)伊吹山の麓に奉遷し、さらに延宝五年(1677)現在地に遷した。 「社伝によれば、上古素盞鳴尊が岩坂の方から駒返り峠を越えて飯梨川筋へ出られ、流域を巡行せられし際、現在の廣瀬町中町字札場のあたりで休息し、安來方面に向かつて出発せられし際、その腰掛け給ひしところに御杖を忘れおき給ひしを、郷人、こは尊の御杖なれば畏しとて、その御杖と腰掛け給ひし石とを霊代として、その東方約一町の地、すなはち現在の鍛冶町後丁の地に社殿を建て、素盞鳴尊を主神とし、これにそのとき道案内をし給ひし岐神を配してお祀りしたのが、當社の起源であるとなつてゐる。」『式内社調査報告』 |