都弁志呂神社
つべしろじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】都弁志呂神社 出雲国 意宇郡鎮座

   【現社名】都弁志呂神社
   【住所】島根県安来市広瀬町広瀬目谷1515
       北緯35度22分6秒、東経133度10分23秒
   【祭神】素盞嗚尊
       (配祀)岐戸神 (合祀)大山祇神 金山彦神
       来名度神『出雲国式社考』

   【例祭】10月9日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「都俾志呂社」『出雲国風土記』
       文徳天皇の代正六位上
       天正年間(1585−91)毛利元康寄進
       寛文8年(1668)気吹山の麓に遷
       延宝5年(1677)11月6日現在地社殿造営
       元禄13年(1700)造営
       享保3年(1718)修覆
       元文2年(1737)造営
       明和2年(1765)造営
       寛政10年(1798)修覆
       文政8年(1825)修覆
       安政2年(1855)造営
       明治年間村社
       明治年間神饌幣帛供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】もともといまの広瀬町の鍛冶町後丁の地に鎮座
        寛文8年(1668)伊吹山の麓に奉遷
        延宝五年(1677)現在地に遷

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「都弁志呂大明神」と称していた
   【社殿】本殿大社造銅板葺
       幣殿・拝殿

   【境内社】稲荷神社・塩釜神社・天満宮・荒神社

風土記の「都俾志呂社」に相当する。
社名は一貫し、中・近世にも変ることはなかつた。
もともといまの広瀬町の鍛冶町後丁の地に鎮座したが、火災・水害に遇い、寛文8年(1668)伊吹山の麓に奉遷し、さらに延宝五年(1677)現在地に遷した。
「社伝によれば、上古素盞鳴尊が岩坂の方から駒返り峠を越えて飯梨川筋へ出られ、流域を巡行せられし際、現在の廣瀬町中町字札場のあたりで休息し、安來方面に向かつて出発せられし際、その腰掛け給ひしところに御杖を忘れおき給ひしを、郷人、こは尊の御杖なれば畏しとて、その御杖と腰掛け給ひし石とを霊代として、その東方約一町の地、すなはち現在の鍛冶町後丁の地に社殿を建て、素盞鳴尊を主神とし、これにそのとき道案内をし給ひし岐神を配してお祀りしたのが、當社の起源であるとなつてゐる。」『式内社調査報告』


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