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古くは要害山上にあり、天文年間(1532-55)山麓に遷した。 中世山上には布部城が築かれていた。現在山頂には愛宕神社の小祠がある。 |
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要害山由来 要害山は火山系安山岩で出来別名一円山ともいわれ標高180mあリ、布部は尼子と毛利の天下分け目の戦場となったところで、尼手の武将森脇市正久仍が陣取つた山城の一つである。 元亀元年(1570)2月14日毛利輝元ひきいる一万四千の将兵と尼子勝久ひきいる武将山中鹿介幸盛七千の兵が激突した、しかし多勢に無勢で、尼子方は三百の死者を出し、広瀬冨田城奪還の夢破れ、ついに山佐方面に総退却せざるを得なかった。 両軍の戦死者の霊を慰める山中祭は毎年2月14日に行われ陣粥がふるまわれる。なお山頂の祠は130年前西ノ谷から移され祭神は加具槌の神(いざなぎ いざなみの命の子)で、火のわざわいをしすめるよう祀ったと古事記は伝えている。地元では愛宕神社と呼び8月に神事や、夏祭りの点灯でにぎわう。 社頭掲示板 |