筑陽神社
ちくようじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】筑陽神社 出雲国 意宇郡鎮座
   【延喜式神名帳】同社坐波夜都武自和気神社 出雲国 意宇郡鎮座

          (合祀)波夜都武自和気神社

   【現社名】筑陽神社
   【住所】島根県松江市東出雲町下意東字宮山815
       北緯35度26分13秒、東経133度9分58秒
   【祭神】事代主命 (配祀)速飄別命
   【例祭】10月16日 例大祭
   【社格】旧村社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「調屋社」『出雲国風土記』
       天正8年(1580)意東川の川辺元宮に遷座
       寛文6年(1666)意東川の氾濫により現在地に鎭祭
       明治5年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】古くは現在地の南方約1Kmに鎮座
        天正8年(1580)意東川の川辺元宮に遷座
        寛文6年(1666)意東川の氾濫により現在地に

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「大森明神」と称していた
   【社殿】本殿大社造柿葺
       幣殿・拝殿・随神門・倉・手水舎・土俵

   【境内社】伊勢宮・天満宮・住吉社・笠森稻荷社・出雲大社・宗忠社・金刀比羅社

風土記の「調屋社」に相当する。
古くは現在地の南方約1Kmのところの、現在馬場山といつているところに鎮座したが、天正8年(1580)現在の中意東の、意東川の川辺で、現在元宮といっているところに遷座し、寛文6年(1666)意東川の氾濫により、再度遷して現在地に鎮祭した。
元宮の地には計100年もいなかったことになるが、その頃には神宮寺があり、流鏑馬の神事が行われていたという。


筑陽神社

事代主命を主祭神とし、速飄別命がまつられ境内社には伊勢宮(天照大神)と天満宮(菅原道真ほか2神)がまつられています。「出雲国風土記」には「調屋社」の名で記されています。社殿が現在の位置になったのは、寛永6年(1666)の大洪水の時で、筑陽川の氾濫により度々社地が変わっています。中意東字元宮を社地とした時には、神宮寺もあり、流鏑馬(やぶさめ)の神事が行われ、馬場頭、馬場尻などの遺存地名も残っています。

社頭掲示板



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