風土記の「調屋社」に相当する。 古くは現在地の南方約1Kmのところの、現在馬場山といつているところに鎮座したが、天正8年(1580)現在の中意東の、意東川の川辺で、現在元宮といっているところに遷座し、寛文6年(1666)意東川の氾濫により、再度遷して現在地に鎮祭した。 元宮の地には計100年もいなかったことになるが、その頃には神宮寺があり、流鏑馬の神事が行われていたという。 |
筑陽神社 事代主命を主祭神とし、速飄別命がまつられ境内社には伊勢宮(天照大神)と天満宮(菅原道真ほか2神)がまつられています。「出雲国風土記」には「調屋社」の名で記されています。社殿が現在の位置になったのは、寛永6年(1666)の大洪水の時で、筑陽川の氾濫により度々社地が変わっています。中意東字元宮を社地とした時には、神宮寺もあり、流鏑馬(やぶさめ)の神事が行われ、馬場頭、馬場尻などの遺存地名も残っています。 社頭掲示板 |