風土記の「宍道社」に相当する。 神社を守るかのように鳥居を挟んで二つの巨大な石がある。長さは8mほどもある。出雲国風土記に記載された猪岩であると伝えている。 石段を登ると2m余の大きな石が垣に囲まれて鎮座している。所造天下大神即ち大穴牟遅命が猪狩を遊ばされた時、猪を追い出した猟犬が石に化したものと殿わり、かってはこの石を本殿として祀っていた。 |
由緒 石宮神社由緒・沿革 古老伝に曰く、神氏に大己貴命の御狩を成し給いし時猪を追いし犬即ち石となりしと云う伝あり。何れの時代にや、その石に大己貴命の御分霊を齋き奉りて当地の産土神と為したりと。故に社殿なし。只石の井垣ありて、その内に犬のうずくまりたるさまの石の神躰あるのみ。然るに明治5年神社の改正より村社となれり。明治39年勅令第96号により大正2年5月17日島根県告示第173号を以て神饌幣帛料を供進することを得べき神社に指定せらる。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
石宮神社 出雲国風土記記載遺跡 犬石・猪石 (宍道町指定文化財) 天平5年(733年)に記された古代出雲の地誌「出雲国風土記」には、宍道の地名の由来を伝えるもので、この犬石、猪石の物語が取り上げてあります。 これを現代ふうにすると、 「出雲の国を治めておられた大穴持命(大国主命)が犬を使って猪狩りをされました。 この追われていた二匹の猪と犬は石となって今でも南の山に残っています。この古事より(猪のとおった道という意味から)この地域を猪の道=宍道と呼ぶようになりました。」というものです。 鳥居の両側の巨石が猪石に、神社拝殿後ろの石(ご神体)が大石にあてられています。 ※出雲国風土記は、天平5年(733年)に記された古代出雲の地誌です。その内容は国-郡-郷などの地名起源、郷-駅家、寺院-神社なとが詳述されています。現存する五力国の風土記のうちで唯一完備したものであり、極めて史料価値の高いものです。 平成4年3月31日 宍道町教育委員会 社頭掲示板 |
石宮神社 御祭神は大己貴命 ( おおなむじのみこと、大国主命 ) であり、御神体は神代固有の霊石である犬石です。 現在その石は、鳥居の両側に猪石が二体、神社拝殿の後ろに犬石が御鎮座されます。 古くこの土地の人達は、当社を式内宍道神社と呼んでいました。 また、延喜式と出雲風土記に宍道神社が登場していますが、それは当社であるという考え方があります。 境内には、伊邪那美命 ( いざなみのみこと )、事解之男命 ( こさかのおのみこと )、速玉之男命 ( はやたまのおのみこと )、石析神 ( いわさくのかみ )、根析神( ねさくのかみ ) の5柱を祀っている熊岩神社や、武内宿祢命 ( たけうちすくねのみこと )を祀っている武内神社があります。 社頭掲示板 |