福富神社の現社地への勧請は鳥居松に御鎮座あったのを永享年中、社地替をしたものといわている。 |
福富神社 産土福富神社社頭記 御由緒 福富神社の現社地への勧請は鳥居松に御鎮座あったのを永享年中、社地替をしたものといわれます。其後正保元年雷火により現地社殿が焼けたため旧記録等も焼失して以前のことは口伝による以外には知ることが出来ませんが、出雲風土記に御当社とおぼしき社名が載っていて、これの誌された当時すでに御鎮座あったことがうかがわれます。 御祭神 木花開耶姫命 木の花は「開耶」つまり「さくら」の枕ことばであって桜の花の咲いたような美しい姫神さまの意で、花の艶美に比べてお称え申し上げた御名であります。 したがってその御名でも明らかなようにこの姫神さまは容色艶麗たぐいまれな実に美しい女神さまで、天孫邇邇芸命の御妃で「焔の御産屋」の神話に名高い神さまであります。 御神徳は特に、美容整容、安産延命にあらたかであります。 事代主神 大国主命の御子で木花咲耶姫命の背の君天孫邇邇芸命の降臨、治国の際、それまで御父の業を嗣いで産業を盛んにして治めて居られた国土を平和のうちに譲ることにより、進歩、前進せられた神さまで、国譲りの神話として、あまりに高名であります。 したがって事代主命という御名も「事」は「言」の意「代」は「しるし」の意で天孫治国の御ために、今日でいう「条約」を結んで平和のうちに国譲りをなされたことに由来しています。 御神徳は、契約有利、殖産振興にあらたかであります。 例大祭 10月15日 社頭掲示板 |