野代神社
のしろじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】野白神社 出雲国 意宇郡鎮座

   【現社名】野代神社
   【住所】島根県松江市浜乃木町2丁目10-30
       北緯35度26分50秒、東経133度3分7秒
   【祭神】大己貴命 事代主命 建御名方命
       (合祀)天御中主命 高皇産靈命 神皇産靈命 葺不合命 大山祇命
       大日ルメ尊 萬幡千千姫命 手力雄命 素盞嗚命 大宮姫命 大田命 保食命
       土祖神 軻遇突智命 奧津彦命 奧津姫命 少彦名命 綿津見命 誉田別命 宇迦御魂命 経津主命

   【例祭】10月17日 例大祭
   【社格】
   【由緒】天平5年(733)2月30日「野代社」『出雲国風土記』
       天平時代開拓者によって現地に妙見社として創建
       明治2年社号を改めて西宮神社と称
       その後現在の野代神社と改

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「妙見社」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】亀田稲荷神社・歳徳神・社日神・荒神・花の木稲荷神社
       恵比須神社・向荒神・大空荒神・カジヤ荒神・山居稲荷神社


出雲国風土記で「野代社」と記されている。天平時代開拓者によって現地に妙見社として創建し明治2年社号を改めて西宮神社と称し、その後、上乃木字賀神社合祀により、野代神社と改称した


由緒

野代神社由緒
当社は出雲風土記に登録されて、当時の制で官幣小社として神祇官の奉幣に預かっています。天平時代、開拓者により妙見社として創立され、明治2年、社号を改めて西宮神社と称し、その後現在の野代神社と改称されました。明治初年、全国的に神社を統合して厚く祭祀を司ることになり、上乃木字宇賀鎮座の宇賀神社、続いて上乃木字当貫鎮座の稲荷神社が当社に合祀され、また別に、亀田稲荷神社が境内社として玉湯町林より遷座奉斎されました。尚それ以前にも、中の宮、青木の宮、八幡神社、川上神社の合祀の記録もあって御祭神の多い神社であります。従って当社は、現在の上乃木、八雲台、一の谷、香の木、古志原団地、浜乃木、卸団地、西嫁島一帯の総氏神として崇敬殊のほか厚く、守護神として霊験あらたかな由緒ある神社として特別神社に指定され、島根県神社庁より奉幣の儀が行われるに至りました。遠い開拓の祖先からこの地の守護神として、政党、宗派を超越して、ひたすら神前に誓い、日々心を新たに振り起こし、和合し、協力して、今日のめざましい発展を見るに至りました。神の道を誠の道と戴き、遠い祖先の遺業を感謝をもって受け継ぎ、平和で豊かな地位息の発展に努め、その美風を子々孫々に伝承していきたいものと念願している次第であります。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年



野代神社

野代神社由緒
主祭神 大己貴命(大国主命)事代主命、建御名方命
合祀神 天御中主命、高皇産霊命、神皇産霊命
葺不合命、大山祇命、大日霊尊、萬幡千々姫命
手力雄命、素盞鳴尊、大宮姫命、大田命
保食命、土祖命、軻遇突智命、奥津彦命
奥津姫命、少彦名命、綿津見命、誉田別命
字迦御魂命、経津主命(以上24柱神)
創立 天平時代以前(今から1300有余年前)
守護 五穀豊穣、縁結、安産、交通安全、商売繁昌
   徐厄開運、六三方災除、家内安全
特別神社指定、昭和56年9月1日(島根県神社庁)
当社は出雲風土記に登録され、当時の制で官幣小社として神祇官の幣の神社であります。
天平時代開拓者によって現地に妙見社として創建し明治2年社号を改めて西宮神社と称し、その後、上乃木字賀神社合祀により、野代神社と改称した、続いて上乃木稲荷神社の合祀によって当地方の総氏神として崇敬殊のほか厚く、霊験あらたかな由緒ある神社として特別神社に指定されました。
遠い祖先の偉業に感謝し、この美風を子々孫々に伝え平和で豊かな地域の発展を祈請いたします。
平成元年4月吉日 村上宮司謹記

社頭掲示板



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