売豆紀神社
めづきじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】売豆紀神社 出雲国 意宇郡鎮座

   【現社名】売豆紀神社
   【住所】島根県松江市雑賀町1663
       北緯35度27分19秒、東経133度3分50秒
   【祭神】下照比売命 (合祀)天照大神 豊受比売命 倭媛命
   【例祭】10月3日 例大祭
   【社格】旧県社
   【由緒】天平5年(733)2月30日「売豆貴社」『出雲国風土記』
       貞観7年(865)10月従五位
       貞観13年(871)10月正五位
       寛文7年(1667)11月現在地に遷座
       明治4年郷社
       大正13年県社

   【関係氏族】
   【鎮座地】意宇郡西津田村(現松江市西津田町)にあつた
        寛文7年(1667)11月現在地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿大社造
       幣殿・拝殿・随神門

   【境内社】歳徳神社・八幡宮・稲荷神社・亥子社

出雲国風土記で「売豆貴社」と記されている。
旧来、現社地より100mほど離れた意宇郡西津田村(現松江市西津田町)売豆紀脇と言う山畑にあつたが、寛文7年(1667)11月松江藩主松平直政が松江城下の東南端雑賀の丘上の現地に遷
寛文7年(1667)に現地へ遷座されるまでの約千年くらいの間は西津田町目つき(現在の西津田五丁目付近)に鎮座されていたものと思われる。
松前健は『日本神話の新研究』で記紀神話で月神と言えば月読尊だけだが、この他にも各地で祀られていたローカルな月神「異系統の月神」があるとし、例として、出羽の月山神社、丹波の小川月神社、壱岐の月読神社等と並び出雲の「女月神」のことをあげている。 出雲国二宮「佐太神社」に神在月で集まった神様は、帰りにこの神社に立ち寄り、 直会(なおらい:宴会のこと)をすると伝。


売豆紀神社

特別神社 賣豆紀神社
松江市雑賀町売豆紀 鎮座
主祭神 下照比賣命
合殿 伊勢宮 天照大神 豊受比賣命 倭媛命
沿革 延喜式神名帳にのせられた式内社 出雲国風土記に所載 松江城下五社の一社 大正13年社格も県社に列せられた 松江市松南地区の総産土神(氏神) 伊勢宮は藩祖松平直政公が伊勢神宮の御分霊を奉斎 松江市伊勢宮町から明治32年当神社に合殿された
由緒 下照比賣命は出雲大社御祭神大国主命の第三の姫神にあらせられる 父神の国土経営をたすけ偉大な功績をたてられ また和歌の祖神とあがめられた 古事記 日本書紀 古今和歌集序文にお名がみえる
安産病気平癒 の守護神 歴代松江藩主 ご内室懐妊のとき霊験をうけられ また病気平癒の守護にあずかった 更に一円の婦女の懐妊 病気の際にご神徳を仰ぐもの多く 安産病気平癒の守護神として著名である

社頭掲示板



子宝いぬ

自分の干支の前に立ち、親子いぬを撫でて安産・無事成長・子授けを祈念してください。
当神社の御祭神下照比売命(出雲大社の御祭神大国主命の第三の姫神)の広大な「子宝の御霊力」を表象する子宝いぬから御神徳をお受けください。
歴代の松江藩主ご内室懐妊の折 大神から御霊験を受けられ世継ぎを得られた。

社頭掲示板



病気平癒・諸災祓除の唐獅子灯篭

きわめて稀少な形をもつこの四頭の唐獅子(狛犬)が担う灯篭は当神社の御祭神下照比売命の御霊力を表象するとされ古来病気平癒・諸災祓除の御霊験あらたかであると伝承されている。
祈願時には銀紙を貼り成就時には金紙を貼って報謝する習わしがある。
松江藩においては一円の病気施行の折大神から病気平癒の御神徳に与かった。

社頭掲示板



売豆紀坂史跡記念之碑

雑賀町の東南端にある売豆紀神社前から美月に登る120段の坂道は、尼子時代から松江に抜ける広瀬往還の重要な出入り口でした。
 堀尾吉晴は築城の途中、亡くなった息子忠氏の子である三之助(後の忠晴、当時6歳)を忠氏の姉、勝山の婿むこ、野々村河内守に預けて広瀬に住まわせました。河内守は実子勘解由かげゆ(15歳)を吉晴の養子として堀尾家を継がせようとしましたが、吉晴は聞き入れませんでした。
 河内守は三之助を亡き者にしようと企み、病気と言い触らして幽閉しました。三之助の身の危険を察した乳母らは暴風の夜、わずかな侍たちと部屋から救い出し、夜通し広瀬往還をひた走り、売豆紀坂で夜が明けました。急飛脚の知らせを受けた堀尾家の重臣らが売豆紀坂に急行し、三之助を迎えたと「千鳥城取立古説」(移城当時の記録書)に書いてあります。
売豆紀坂史跡記念之碑 ―堀尾家のお家騒動― レポーター 坂田哲郎  雑賀まちづくり推進協議会(佐々木武男会長)が「松江開府400年祭」を機に、地域に関係する優れた先人、史跡を顕彰しようと浄財を集めて完成させたものです。
 碑は高さ2メートル、横幅0・9メートル。自然石を二分したもので売豆紀神社入口横に建立されています。
 揮毫 恒松定幸氏

市報松江 2010年 1月号



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