出雲国風土記で「山代社」と記されている。 風土記に「山代郷(中略)所造天下、大神大穴持命御子山代日子命坐」と見え、地域開拓神であつた。 国風土記以来神名樋山(今の茶臼山)の中腹に鎮座していた。延宝8年(1680)古志原に移つた。 |
由緒 山代神社由緒 出雲の国風土記並びに延喜式神名帳(日本で最も古い全国神社調査書)にしるされ、意宇郡山代郷(現在の山代町、竹矢町、八幡町、矢田町、東津田町、西津田町、上乃木町、浜乃木町、古志原町)の郷社として、もと神名樋山(今の茶臼山)の中腹に鎮座す。(現在も此の地に岩室の古跡あり)往時古志原村に産土神社なきため、天災凶作つづき移住者定着することなく、民生安定せずとなし、鎮守社として藩許を得て、延宝8年(1680)現社地に奉遷す。爾来、民生安定、厄除解運、家内安全を祈念し崇敬あつし。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |