由緒書によれば、当社の創祀年代は不詳とされるものの、奈良時代の『出雲国風土記』に「阿太加夜社」として記載される古社であり、社殿などの建築物は元禄8年(1695年)に源綱近によって造営され、以後 代々の藩主によって改修されて来たとされている。 |
阿太加夜神社 阿太加夜神社御由緒 御祭神 阿太加夜奴志多岐喜比賣命 配祀神 國之底立命 須佐之男命 淑母陀流命 阿志古泥命 境内社 稲荷神社 祭神 宇迦之魂命 雨風神社 祭神 奥津彦命 奥津姫命 級長津彦命 級長津姫命 兵庫神社 祭神 松岡兵庫頭 例大祭10月9日・10日 当社は大那牟遅命の御子阿太加夜奴志多岐喜比賣命外四柱を祀り、鎮座年歴不詳であるが天平5年の風土記に記載され、殊に貞観元年7月11日正五位下を授けられている。 社殿諸建造物は元禄8年3月23日出雲太守松平出羽守源朝臣綱近により造営され、代々の藩主による修造の棟札が現存している。 また、社頭三十石を寄付された社であるが、中古火災によって由緒の詳なることを知ることは出来ない。通称芦高大明神と呼ばれ近郷の信仰を集めている。 社頭掲示板 |
ホーランエンヤ・日本三大船神事 松江城稲荷神社の御神輿を、芦高(阿太加夜)神社の本殿に迎えて一週間出雲の国の五穀豊穣と産業の発展を御祈願する祭りである。 慶長12年堀尾氏が築城を始めた。芦高の神主松岡兵庫頭(芦高兵庫神社の祭神)は二夜三日の祈願を行い、鎮守八幡の祭事を執り行った。 寛永15年堀尾氏が築城してから約二十年後信州松本から松平直政公が松江に入城した。入城後十年目に当たる年は風雨が多く五穀がよく実らなかった。 そこで城内稲荷大明神を芦高神社に勧請して、五穀豊穣を祈願した。正保4年の事である。 以来、十年毎、又は十二年毎に斉行され出雲国の五穀豊穣と産業の発展を祈願してきた。 文化5年の神幸祭の際、浪風激しく馬潟沖において神輿船が危険な状態となった時、馬潟の漁師達が船を出し、これをよく援助して無事芦高神社に御案内した。 これが櫂伝馬船の始まりであり、文政元年の神幸祭より馬潟組の人達は引船の役を承り、矢田組、大井組、福富組、大海崎組五組が揃って奉仕するようになった。 社頭掲示板 |
阿太加夜神社 〈特別神社〉阿太加夜神社 阿太加夜神社の主祭神は神話で有名な大国主命の御子、阿陀加夜奴志多岐喜比売命(女神様)です。 この神様は阿太加夜(現在出雲郷)の主として出雲の多伎町に祭られているほど広く出雲の地で活躍された出雲鎮守(士地・地域を守る)の神様です。 十年に一度の日本三大船神事(通称ホ−ランエンヤ)は、松江藩主松平直正公が、不作を危惧し五殿豊穣を祈念するため、城山にある稲荷神社の御神霊をわざわざここ阿太加夜神社に船渡御して七日間にも延ぶ大祭を斉行したのが始まりです。 現在まで三百五十余年続く式年神幸祭で境内には神幸祭にぢなんだ霊験あらたかな松岡兵庫頭をおまつりした社があります。 配神には須佐之男命をはじめ国之底立命・淤母蛇琉命・阿志古泥命の天神をまつり、末社は稲伺神社・雨風神社。 境内の面足山には、くにびき神話の意宇の社・八束水臣津命の碑・河童伝説の碑・方葉集歌人門部大臣の碑などがあります。 社頭掲示板 |