岡の頂きに鎮座している。天正の兵火以来合祀したという伝もある。 『旧八雲村誌』等は風土記意宇郡の詔門社に比定する。 当地は意宇川上の熊野大社の遥拝する位置にあり、伊弉諾尊・伊弉冊尊両神の礼拝所、あるいは諸山神が祝詞を捧げる地であったともいわれ、風土記・延喜式の能利刀社に比定される由縁となっている。 |
劔神社 神話に女神イザナミノミコトを失った男神イザナギノミコトは、亡くなった女神をあきらめきれず黄泉の国まで行ったが、そのみにくい姿を見て逃げ帰る道中、黄泉の国の軍勢に追われた男神イザナギノミコトは剣を抜き打ち振って、この地まで逃れたという言い伝えがあります。 鳥居から百五十段の石段を上がるとイザナミノミコトと他五柱神(大山祇命・中山祇命・麓山祇命・正勝山祇命・籠山祇命)を祀った神殿があり、神殿屋根にある千木先端の切り方が前後、異なる形のたいへん珍しい社です。(男神は先端が天に向かい、女神は先端が大地と平行になっています。この神殿の千木については、前は男神、後ろは女神のものになっています。)また、日本書紀の完成に協力した舎人親王(トネリシンノウ)を祀る藤森神社も境内にあり学問の神様として地元に親しまれています。 社頭掲示板 |