樫井川と大井関川の合流点から南に入った山麓に鎮座している。 かつて上之郷村字布都の山中にあつたが、天正年間に焼失し、現地へ遷という。 意賀美神社は雨を掌る神として崇敬されてきた。 本殿は春日造桧皮葺で室町時代の建築で、大正13年4月5日、特別保護建造物に指定され、昭和25年8月29日、重要文化財に指定された。 |
由緒 延喜式の古社ながら、創建の年月は未詳である。社傳によると、古は社司十軒あり、年長者を推して祭主としたとある。社地はかって上之郷村字布都の山中にあったが、天正年間に焼失したといふ。末社には、奥神社・大国神社・堂ケ谷神社がある。その中堂ケ谷神社は、字堂ケ谷(現在の龍ノ池近く)にあって、もと「奥ノ院」と称したが、のち当社に移転せられたのである。意賀美神社は、雨を掌る神として崇敬され、明治五年村社となり、同四十年神饌幣帛供進社に列し、同41年6月4日字池尻の村社若宮神社・字正法寺の村社弥栄神社を合祀した。さらに大正14年7月1日郷社に昇格した。 本殿、昭和25年8月29日重要文化財に指定される。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
意賀美神社本殿 意賀美神社は延喜式神名帳に記載されている古い神社です。祭神はタカオカミで、竜神即ち水を支配する神です。 本殿は一間社春日造、向拝軒唐破風。建立年代は室町時代中期の嘉吉2年(1442)で、泉佐野市の神社建築では最も古く、一間社春日造りでは大阪府最古のものです。 。本殿全体に彩色を施し、虹梁形の頭貫、禅宗様の木鼻、緻密な彫刻の蟇股、和様の繋梁などの細部様式に室町時代の特色をあらわしています。 1994年3月 泉佐野野市教育委員会 社頭掲示板 |
意賀美神社 御祭神 『大阪府史蹟名勝天然記念物』には、『祭神は神祇賓典に伊奘諾尊、式社考に素盞鳴尊とするも、神名帳考証・神祇志の諸書に、龍神とし社傳亦えに同じ』としている。 社名 九條家本も、金剛寺本も『意賀美(おかみ)』とあるが『意』を『イ』と誤って『イガミ』と呼ぶことも現にある。これは大阪府下の他にも例がある。また『オガミ』と濁って発音するのが現在の呼称である。 『大阪府誌』『大阪府全誌』『大阪府史蹟名勝天然記念物』ともに武塔山の麓にあるので『武塔ノ天神』と俗称すると述べている。 延喜式の古社ながら、創建の年月は未詳である。社傳によると、古は社司十軒あり、年長者を推して祭主としたとある。社地はかって上之郷村字布都の山中にあったが、天正年間に焼失したといふ。末社には、奥神社・大国神社・堂ケ谷神社がある。その中堂ケ谷神社は、字堂ケ谷(現在の龍ノ池近く)にあって、もと「奥ノ院」と称したが、のち当社に移転せられたのである。意賀美神社は、雨を掌る神として崇敬され、明治5年村社となり、同40年神饌幣帛供進社に列し、同41年6月4日字池尻の村社若宮神社・字正法寺の村社彌栄神社を合祀した。さらに大正14年7月1日郷社に昇格した。 由緒書 |
意賀美神社 意賀美は仮字也〇祭神高おかみ神歟、(式社考に素尊といふ、今從はす、)○上郷上村に在す、今武塔天神と称す、(泉州志、和泉志、式社考、)○当國和泉郡にも同社あり 類社 河内國茨田郡意賀美神社の條見合すべし 神社覈録 |