意賀美神社
おがみじんじゃ 所在地ボタン 社名ボタン















   【延喜式神名帳】意賀美神社 和泉国 日根郡鎮座

   【現社名】意賀美神社
   【住所】大阪府泉佐野市上之郷45番地
       北緯34度22分6秒,東経135度19分42秒
   【祭神】高おかみ神
       『神祇宝典』伊弉諾尊
       『式社考』素盞鳴尊
       『神名帳考証』『神祇志料』『特選神名牒』『大日本史神祇志』龍神

   【例祭】10月9日 例大祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】創建の年月は未詳
       天正年間に焼失
       明治5年(1872)村社
       同40年1月神撰幣用料供進社
       大正14年7月10日郷社


   【関係氏族】
   【鎮座地】上之郷村字布都の山中にあつた
        天正年間に焼失し現地に遷

   【祭祀対象】龍神
   【祭祀】
   【社殿】本殿春日造桧皮葺で室町時代の建築
       大正13年4月5日特別保護建造物に指定
       昭和25年8月29日重要文化財に指定
       幣殿・拝殿・神饌所・手水舎・社務所

   【境内社】奥神社、猿田彦神社、大国神社

樫井川と大井関川の合流点から南に入った山麓に鎮座している。
かつて上之郷村字布都の山中にあつたが、天正年間に焼失し、現地へ遷という。
意賀美神社は雨を掌る神として崇敬されてきた。
本殿は春日造桧皮葺で室町時代の建築で、大正13年4月5日、特別保護建造物に指定され、昭和25年8月29日、重要文化財に指定された。


由緒

延喜式の古社ながら、創建の年月は未詳である。社傳によると、古は社司十軒あり、年長者を推して祭主としたとある。社地はかって上之郷村字布都の山中にあったが、天正年間に焼失したといふ。末社には、奥神社・大国神社・堂ケ谷神社がある。その中堂ケ谷神社は、字堂ケ谷(現在の龍ノ池近く)にあって、もと「奥ノ院」と称したが、のち当社に移転せられたのである。意賀美神社は、雨を掌る神として崇敬され、明治五年村社となり、同四十年神饌幣帛供進社に列し、同41年6月4日字池尻の村社若宮神社・字正法寺の村社弥栄神社を合祀した。さらに大正14年7月1日郷社に昇格した。
本殿、昭和25年8月29日重要文化財に指定される。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




意賀美神社本殿

意賀美神社は延喜式神名帳に記載されている古い神社です。祭神はタカオカミで、竜神即ち水を支配する神です。
本殿は一間社春日造、向拝軒唐破風。建立年代は室町時代中期の嘉吉2年(1442)で、泉佐野市の神社建築では最も古く、一間社春日造りでは大阪府最古のものです。
。本殿全体に彩色を施し、虹梁形の頭貫、禅宗様の木鼻、緻密な彫刻の蟇股、和様の繋梁などの細部様式に室町時代の特色をあらわしています。
1994年3月 泉佐野野市教育委員会

社頭掲示板



意賀美神社

御祭神 『大阪府史蹟名勝天然記念物』には、『祭神は神祇賓典に伊奘諾尊、式社考に素盞鳴尊とするも、神名帳考証・神祇志の諸書に、龍神とし社傳亦えに同じ』としている。
社名 九條家本も、金剛寺本も『意賀美(おかみ)』とあるが『意』を『イ』と誤って『イガミ』と呼ぶことも現にある。これは大阪府下の他にも例がある。また『オガミ』と濁って発音するのが現在の呼称である。
『大阪府誌』『大阪府全誌』『大阪府史蹟名勝天然記念物』ともに武塔山の麓にあるので『武塔ノ天神』と俗称すると述べている。
延喜式の古社ながら、創建の年月は未詳である。社傳によると、古は社司十軒あり、年長者を推して祭主としたとある。社地はかって上之郷村字布都の山中にあったが、天正年間に焼失したといふ。末社には、奥神社・大国神社・堂ケ谷神社がある。その中堂ケ谷神社は、字堂ケ谷(現在の龍ノ池近く)にあって、もと「奥ノ院」と称したが、のち当社に移転せられたのである。意賀美神社は、雨を掌る神として崇敬され、明治5年村社となり、同40年神饌幣帛供進社に列し、同41年6月4日字池尻の村社若宮神社・字正法寺の村社彌栄神社を合祀した。さらに大正14年7月1日郷社に昇格した。

由緒書

意賀美神社

意賀美は仮字也〇祭神高おかみ神歟、(式社考に素尊といふ、今從はす、)○上郷上村に在す、今武塔天神と称す、(泉州志、和泉志、式社考、)○当國和泉郡にも同社あり
類社
河内國茨田郡意賀美神社の條見合すべし

神社覈録



和泉国INDEXへ        TOPページへ



順悠社