南近義神社
みなみこぎじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】加支多神社 鍬靫 和泉国 日根郡鎮座
          (旧地)加支多神社【旧地】

   【現社名】南近義神社
   【住所】大阪府貝塚市王子1195番地
       北緯34度25分37秒,東経135度21分7秒
   【祭神】彌都波能賣神
       (配祀)丹生都比賣神 (合祀)譽田別命 蛭子命 大國主命 市杵嶋姫命 天照皇大神
       志那都比古命 武甕槌命 伊邪那美命 素盞嗚尊 伊邪那岐命 オカ神 息長帶姫命
       菅原道眞 天櫛玉命 塞神 別雷神 事代主命 底筒男命 中筒男命 表筒男命 天水分命
       志那都比賣命 (主神)大日ルメ貴命

   【例祭】9月22日 例祭
   【社格】
   【由緒】明治40年11月16日「加支多神社」を合祀
       明治42年5月18日に今日の社名に改めた

   【関係氏族】
   【鎮座地】明治40年11月16日「加支多神社」を合祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

『大阪府史蹟名勝天然記念物』は「南近義神社」の項で、明治40年11月16日、大字王子字貝田社の村社「加支多神社」を合祀したと記す。南近義神社はもと「丹生神社」と称したが、明治42年5月18日に今日の社名に改められた。


由緒

主神の彌都波能売神をはじめ、丹生都比売神を合せて、36の神々をまつる。
もとは、吉野の丹生神社の分社であり、丹生神社と呼ばれた。弘安7年(1284)に近木庄が高野鎮守の丹生都比売神社(天野明神・天野大社)に寄進された際、その分霊を勧請されたと伝えられる。
水、雨あるいは安産の神として信仰があつく、江戸時代には雨乞いのため、鐘、太鼓を鳴しながら、“千度参り”が行われた。明治40年から42年にかけて、南近義村の全地域に所在する24の神社を合祀し、南近義神社と明治42年5月18日社名が変えられ現在に至る。
熊野九十九王子のうち、鞍持王子、近木王子の神も合祀されている。
平成4年3月
南近義神社
貝塚市教育委員会

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




南近義神社

主神の弥都波能売神をはじめ、丹生都比売神など36の神をまつる。もとは、吉野の円生神社の分社であり、円生神社と呼ばれた。
弘安7年(1284)に近木庄が高野山鎮守の丹生都比売神社(天野明神社)に寄進された際、分霊が勧請されたと伝えられており、天野明神とも呼ばれた。水、雨、あるいは安産の神として信仰があつく、江戸時代には雨乞いのため、鐘・太鼓を嶋らしながら、”千度参り"が行われだ。明沿40年から42年にかけて、南近義地域に所在する神社を合祀し、南近義神社と改められた。熊野九十九王子のうち、鞍持・近木両王子も合祀されている。
平成4年3月
貝塚市教育委員会

社頭掲示板



南近義神社

鎮座地 貝塚市王子1195番地 由緒 当神社はもと丹生神社と称し、伝説によると大和国吉野丹生神社の御分霊を勧請したものというが詳らかではない。近義郷は弘安の役で敵国降伏の祈請をこめた勲功により、正応3(1290)年3月27日、院宣を以って丹主高野社(丹生都比売社)に寄進されてより長く高野山領であったので、その御分霊を勧請して産土神(氏神)と崇め奉り、天野明神と呼ばれていた。水、雨、あるいは安産の神として信仰があつく、江戸時代には雨乞いのため、鐘・太鼓を鳴らしながらの千度参りが行われた。
明治5年村社に列し、同40年10月28日王子字馬郡の八幡神社、同字戎の出口神社、同字権現の熊野神社、同字新宮の市杵島神社、同字宮脇の神明神社、同字明楽寺の住吉神社、同字船戸の春日神社、同字氏神の加茂神社を合祀した。また同年10月30日同字原宮の市杵島神社、大字沢字堂の坂の五社神社を合祀し、11月16日には字貝田社の加支多神社、大字沢字高林の加茂神社を合祀した。更に翌41年9月5日字新出の加茂神社を合祀し、翌42年5月18日大字橋本字小名城神社、同字栂宮の北野神社、同宇島ヶ崎の島崎神社、同字野口の藤の木神社、同字出原の神明神社、大字窪田字東の市杵島神社、同字西の市杵島神社、大字堤字宮の久保の厳島神社、大字地蔵堂字権現の熊野神社、大字沢の八品神社を合祀するとともに今の社名に改められた。
八品神社は明治40年10月29日、大字浦田字氏神の五社神社を、翌30日大字沢字ウベの熊野神社、字半戸の道陸神社、字高林の加茂神杜、字堂の坂の五社神社、同年11月11日大字沢字四柱の菅原神社を合祀したもので、熊野九十九王子のうち、鞍持、近木王子も合祀されていた。
なお、合祀社のうち字馬郡の八幡神社は「和泉誌」にその名が見え、「国内神名帳」には「従五位下馬部社」とある。また八品神社は、「和泉誌」に櫛代詞「在沢村、相伝古昔調進、伊勢斎宮御櫛千比」と見えるように、櫛の神として崇拝され、『泉州誌』にも「近木櫛、藤原明衛新鍛記載、諸国土産曰和泉櫛、余按、近義郷造櫛当年既尚矣明衛所調和泉櫛乃是歟」とある。

社頭掲示板



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