火走神社
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   【延喜式神名帳】火走神社 和泉国 日根郡鎮座

   【現社名】火走神社
   【住所】大阪府泉佐野市大木1534番地
       北緯34度21分6秒,東経135度22分10秒
   【祭神】軻遇突智神 事代主神 天児屋根命 素戔嗚尊 大年神 稚日女尊
   【例祭】例祭 10月10日 例祭
   【社格】旧郷社
   【由緒】推古天皇2年2月神礼『日本総国風土記』
       享保11年(1726)8月5日宗源の宣旨を以て正一位
       明治5年(1872)村社
       明治40年1月神饌幣帛料供進社
       大正元年12月6日郷社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「瀧宮明神」と称していた
   【社殿】本殿春日造桧皮葺
       向拝・幣殿・拝殿・神饌所、手水舎、神門・社務所

   【境内社】幸神社、春日神社、八坂神社、大年神社・丹生神社

社名は祭事に男巫が火上を走ることから起こったと言われている。
川の西岸の山腹に鎮座している。境内地は狭隘である。
古来火走神社と称してきたが、永享元年(1429)以後滝大明神と称した。明治以後は専ら火走神社と称した。
もと瀧本坊という宮寺があって奉仕したが、明治維新後の神仏分離によって廃絶した。


由緒

当御祭神は軻遇突智神を祀る。一に火之夜芸速男神とも火産霊神とも称え奉る。醍醐天皇延喜の制(醍醐天皇延喜5年西905年)により式内社に列せし古社にして神名帳に「火走神社祭神軻遇突智命」とあり推古天皇(西594)の2年3月圭田29束と三畝田を寄進して軻遇突智神の祭礼を執行せられたり是等に依っても如何に古くより御鎮座あらせられしかを知る事が出来る。
当神社は古来火走神社と称し奉りしを永享元年(西1429)8月24日以後に至り滝大明神と称し現在せる石燈籠には滝大明神と刻せるもの多く明治以後は専ら火走神社と称す。旧志に従三位上従五位等の神位を記せるものあり。享保11年(西1726)8月5日宗源の宣旨を以て正一位を授けられる。
明治5年村社に列し同40年1月神饌幣帛料供進社に指定せられ大正元年(西1912)12月6日郷社に昇格せり。永正2年(後柏原天皇西1505)9月14日御造営の記録あり。現在の社殿は元和8年(後水尾天皇西1622)8月16日の御造営にして一間社春日造屋根は桧皮葺三方に縁をめぐらし前方に一間の向拝を設け木部には極彩式にて牡丹桜雲松波などを描き蟇股には天人獅子を彫刻し桃山美術の精悍を今日迄完全に伝えている。本殿の他に幣殿拝殿社務所等あり、中古仏教の盛なりし頃当社の側に上宝院滝本坊滝音寺と称する神宮寺あり、犬鳴山七宝滝寺中興の志一上人兼住して当社の祭事に奉仕す。
天正13年(西1585)兵戦に罹り二十ケ坊悉に烏有に帰せしも滝本坊のみ災厄を免れ依然当社の別当たり明治維新に逅い神仏混淆廃止となり滝本坊廃寺処分せられ其の境内地は神社境内地に復し仏像仏具は七宝滝寺に移付し堂宇を取毀ち庫裏の建物は模様替えをなし社務所に充当せられたり。
例祭は9月24日なれど、生活改善委員会の節約主旨の申合わせにより昭和27年より更に10月10日を泉南郡統一奉祝日として祭典を執行す。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




伝説

境内社の「丹生明神」とかかわる社名の傳説がある。『泉州文化資料』所収の『和泉傳承志』には、次のような記載がある。南北朝時代、南朝方の橋本正高等が、この大木谷に皇居(吉祥御所)を造営して、後村上天皇を迎えたが、北朝方の足利勢の熊本一角の軍が、この皇居に攻め寄せた。橋本正高の軍はこれを迎え撃ち、丹生明神の社前で激烈な山岳戦となつた。この時、丹生明神の神殿の扉が開き、その中から火箭を手にした夥しい神兵がどつと繰り出し、北朝軍の頭上に火の矢の雨を降らしたので、攻め手は忽ち敗退したと伝えている。後村上天皇は非常に喜ばれ、神明の加護であるとして、當社に「火走」の社名を奉つたという。この伝説は一境内社である「丹生明神」の神徳を讃へて、当社の社号としたといふことで、誠に興味深い。



火走神社由緒記

火走神社社務所
大阪府泉佐野市大木
御祭神
軻遇突智神を祀る。一に火之夜芸速男神とも火産霊神とも称え奉る。
御鎮座
醍醐天皇延喜の制(醍醐天皇延喜5年により式内社に列せし古社にして神名帳に「火走神社祭神軻遇突智命」とあり推古天皇の2年3月圭田29束と三畝田を寄進して軻遇突智神の祭礼を執行せられたり是等に依っても如何に古くより御鎮座あらせられしかを知る事が出来る。
社号
当神社は古来火走神社と称し奉りしを永享元年8月24以後に至り滝大明神又は滝宮明神と称し現在せる石燈籠には滝大明神と刻せるもの多く明治以後は専ら火走神社と称す。
社格
旧志に従三位上従五位等の神位を記せるものあり。享保11年8月5日宗源の宣旨を以て正一位を授けらる。明治5年村社に列し同40年1月神饌幣帛料供進社に指定せられ大正元年12月6日郷社に昇格せり。
社殿
永正2年(後柏原天皇)9月14日御造営の記録あり。現在の社殿は元和8年(後水尾天皇)8月16日の御造営ににして一間社春日造屋根は檜皮葺三方に縁をめぐらし前方に一間の向拝を設け木部には極彩式にて牡丹桜雲松波などを描き蟇股には天人獅子を彫刻し桃山美術の精粋を今日迄完全に伝えてゐる。本殿の他に幣殿拝殿社務所等あり、中古仏教の盛なりし頃当社の側に上宝院滝本坊滝音寺と称する神宮寺あり、犬嶋山七宝滝寺中興の志一上人兼住して当社の祭事に奉仕す。天正13年兵戦に罹り二十ヶ坊悉に烏有に帰せしも滝本坊のみ災厄を免れ
依然当社の別当たり明治維新に遁い神仏混淆廃止となり滝本坊廃寺処分せられ其の境内地は神社境内地に復し仏像仏具は七宝滝寺に移付し堂宇を取毀ち庫裏の建物は模様替えをなし社務所に充当せられたり。
例祭
9月24日なれど、生活改善委員会の節約主旨の申合せにより昭和27年より更に10月10日を泉南郡統一奉祝日として祭典を執行す。 其の他の考証
火走神社(和泉名所図会)
大木村にあり延喜式内也今滝大明神と号す此所の産土神とす。例祭8月24日(旧)
むかし此の神を祭るに男巫火上を走る故に火走と号するや火走神社一名滝宮。
火走神社(大阪府全誌)
火走神社は南方日谷にあり延喜式内の神社にして軻遇突智命を祀れり。日本総風土記に「圭田29束三畝田推古天皇2年甲寅3月初加神礼」と見ゆれば当時以前の勧請ならん。社名は祭事に男巫の火上を走れるものありしに依れり。享保11年8月5日宗源の宣旨を以て正一位を授けらる境内は516坪(現在は780坪1合5勺)を有し例祭は9月24日なり。
境内神社
幸神社
祭神 大巳貴命 少彦名命 事代主大神 市杵嶋姫命
配祀 誉田別尊 奥津日子神 奥津比売命
由緒 御社殿御造営の年月調査中なるも本殿よりも全ての点古し。社殿春日造
春日神社
祭神 武甕槌神 経津主神 天児屋根命 比売神
配祀 大山祇神
由緒 宝暦2年4月13日夜護摩堂より出火焼失 宝暦2年9月24日御造営の御社殿なり 社殿 春日造
八坂神社
祭神 素盞鳴尊
由緒 明治40年9月23日当社え合併せられたる神社なり
社殿 春日造
大年神社
祭神 大年神
由緒 明治40年9月23日当社え合併神社 社殿 春日造
丹生神社
祭神 稚日女尊 由緒 不詳 社殿春日造

由緒書



火走神社社殿

本殿(中央の社殿)泉佐野市指定文化財
一間社春日造。建立は江戸時代前期の元和八年(1622)。
彫刻・絵画・彩色に泉南地方の特色をよく発揮している社殿です。
木鼻の種類も多く前面に彫刻をほどこし、頭貫を紅梁形として絵様をつけています。柱や海老紅梁に禅宗様の影響が見られます。壁面には僧侶などを描き神仏習合臭を感じさせます。部材には幾何学模様・金襴巻等の彩色を施しています。
幸社(向かって右側の社殿)重要文化財
一間社春日造。室町時代。
細部に古制がよく保存され、組み物は柱にくらべて大きく力量感にあふれています。
部材の大きな面取りや繋紅梁・木鼻・蟇股の様式、軒桁の反り増し、高欄などに室町時代の特色がよく表れています。正面の板扉、背面の妻組も本殿と比較して古式です。部材、壁面に彩色を施し絵を描いています。
1994年3月
泉佐野市教育委員会

社頭掲示板



火走神社社殿

本殿(中央の社殿)泉佐野市指定文化財
一間社春日造。建立は江戸時代前期の元和8年(1622)。
彫刻・絵画・彩色に泉南地方の特色をよく発揮している社殿です。
木鼻の種類も多く全面に彫刻をほどこし、頭貫を虹梁形として絵様をつけています。柱や海老虹梁に禅宗様の影響が見られます。壁面には僧侶などを描き神仏習合臭を感じさせます。部材には幾可学的模様・金蘭巻等の彩色を施しています。
幸社(向かって右側の社殿)重要文化財
一間社春日造。室町時代。
細部に古制が艮く保存され、組物は柱にくらべて大きく力量感にあふれています。
部材の大きな面取や繁虹梁・木鼻・蟇股の様式、軒桁の反り増し、刎高欄などに室町時代の特色がよく表れています。正面の板扉、背面の妻組も本澱と比較して古式です。部材・壁画に彩色を施し絵を描いています。
1994年3月
泉佐野市教育委員会

社頭掲示板



火走神社

火走は比波之里と訓べし○祭神軻遇突智命、(風土記〇式社考に、彦火々出見尊といふ、今從はず、)○大木村に在す、今瀧宮明神と称す、(泉州志、和泉志、式社考)○総國風土記第廿九残欠云、日根郡火走神社、圭田二十九束三畝田、所祭軻遇突智也、推古天皇2年甲寅3月初加神禮、
神位
國内神名帳云、從五位上火走社、

神社覈録



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