脇浜戎大社(高おかみ神社)に合祀されている。平地の大社。この地はもと海中の小島であった。 「神前」は「神崎」で、脇浜と近木川下流によつて形成された三角地帯のことであるとされている。 創建年月不詳。『和泉国神名帳』に「正五位下神前社」と記されている。明治44年11月18日泉南郡近義村大字脇浜字近木崎の「事代主神社」に合祀された。合祀後「事代主神社」はその社名を「戎神社」に改称。この「戎神社」が大正元年12月27日に、字近木崎の「高おかみ神社」に再合祀された。『高おかみ神社』は明治5年村社に列せられている。 旧地は貝塚市畠中であり西小学校の敷地となっている。(参考:北緯34度26分24秒,東経135度20分52秒) |
高おかみ神社(脇浜戎大社) 海神である高おかみ大神を祭り、,八大龍王社とも呼ばれる。創建は不詳であるが、古来より雨の神として崇敬され、かんばつの年に祈れば必ず霊験があるとされている。当社の沖合八町(約800m)ほどの浅瀬に竹を立て、老若男女が雨乞踊りを奉納したといわれる。脇浜戎大社は事代主命を祭り、「脇浜のえべっさん」として信仰を集めている。次の各社が、当社に合祀されている。 鹿島神社・八幡神社・大神社・市杵島神社・戎神社(以上脇浜より)市杵島神社(以上石才より)厳島神社・八坂神社・八坂神社・八島神社・菅原神社(以上畠中より)嘉治穂神社・出口神社・鹿志摩神社(以上加治より)八坂神社・春日神社・神前神社(延喜式内社)(以上神前より) 平成3年8月 貝塚市教育委員会 社頭掲示板 |
神前神社 式内神前神社【こうざきじんじゃ】は戎神社(事代主神社)に合祀、さらに戎神社が高?神社に合祀されており、その痕跡は何も残っていない。 明治十二年(1879)の神社明細帳によると、氏子は九十三世帯、境内地五百四十二坪、本殿は方一間五寸(およそ百九十七センチメートル)だった。 鎮座地は旧畠中村字長楽寺山で、現在貝塚市立西小学校の建つ辺りらしい。『和泉志』『和泉名所図会』などは所在地を神前村としているが、それらに先立つ元禄十三年(1700)の『泉州志』には「在神前村 今日在畠中村領」とある。村境の移動があったのだろうか。実際、鎮座地付近は脇浜・畠中・神前・加治四ヶ村の土地が入り組んでいて、境界をめぐってしばしば争いがあったようだ。『特選神名牒』は「明細帳畠中村にありて村社 神前村には此社号の社なし 今按当社畠中村にありと云ひまた神前村にありと云ひて未だ一決せずと云り されど泉州志和泉志共に神前村と記せる由ありげなり 尚よく考べし」とする。 祭神は不詳だが、江戸時代には「妙見」と称ばれていたことが『泉州志』『和泉志』『和泉名所図会』に見える。神仏分離以前は妙見菩薩を祀っていたのだろうか。 度会延経『神名帳考証』 は祭神を舩戸神【ふなとのかみ】とする。クナト(フナト)は境界の神で、道の分岐や村境で悪霊・疫病などの侵入を防ぐ役割を持つ。「神前」は「神崎」に通じ、近木川河口付近の海に突き出した土地を指す地名ともいわれるから、海と陸の境界であるそのような場所に境界神を祀ったという解釈だろう。 一方、『大阪府史蹟名勝天然記念物』は「祭神詳ならず。或は少彦名命とし、或は武甕槌命とす」としている。根拠が明示されていないが、地元にそのような伝承があったのだろうか。 高おかみ神社〔貝塚市脇浜〕 海から来訪した龍神と戎神 http://koshaji.blog.jp/archives/67642002.html |
神前神社 神前は加牟佐岐と訓べし○祭神詳ならず○近義郷神前村に在す、(泉州志、和泉志、式社考、)今妙見と称す、(式社考) 類社 伊勢國度會郡神前神社の條見合すべし 神位 國内神名帳云、正五位下神前社、 神社覈録 |