丸笠神社
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   【延喜式神名帳】丸笠神社 和泉国 和泉郡鎮座

   【現社名】丸笠神社
   【住所】大阪府和泉市伯太町 4丁目
       北緯34度29分43秒,東経135度26分39秒
   【祭神】御諸別神・素盞嗚命
       明治初年には、伊邪那美大神
       『大阪府誌』皇太神並に熊野神
       『大阪府全志』伊邪那岐命、伊邪那美命

       延喜式には一座とあるが、これに当たるのがどの神かはっきりしない

   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】明徳3年(1392)8月『丸笠神社縁起』に記載
       明治5年(1872)村社
       明治44年5月には神饌艘幣帛料供進社に指定
       大正5年伯太神社の飛地境内社となる

   【関係氏族】
   【鎮座地】本来は南池田の宮里にあった
        禅宗新宮山龍雲寺廃して後その場所へ移るという
        大正5年に伯太神社に合祀する

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

和泉市伯太町の伯太神社の飛地境内社である。
丸笠古墳の前方部に祀られている。
本来は南池田の宮里にあった。
宮里とは、当地の南南東にある現国分町・平井町・黒石町辺りを指すと思われる。とすれば、当地とは約7〜8kmほど離れており、そんな遠距離から当地へ遷座した由縁は不明。
神功皇后が和泉の小竹宮の行宮に遷られた時、勅命を受けて国内平定につくした武將小竹祀丸、天野祝丸の墓二つを造つたので、境内は車塚となつた。この地に御諸別神(和泉国皇大神)を祀つた。
白河上皇が熊野御幸の折、当地で病まれ、ここで熊野を遙拝して平癒を祈念されたところ回復できたと伝わる。
本社現在の鎮座地は、禅宗新宮山龍雲寺があった所という。寺廃して後移るという。
大正5年に伯太神社に合祀する。
「丸笠古墳」は、古墳時代の前期または中期に属する代表的なものであるが、未調査。前方後円墳で、環濠も大部分残る。


丸 笠 山 古 墳

大阪府史跡
丸 笠 山 古 墳
昭和51年3月31日 指定
 信太丘陵の西縁部に位置する全長96mの前方後円墳である。
 東西から北西へ延びる丘陵を利用して構築されている。
三方にあるため池は濠の名残りとも考えられているが、明らかでない。
 もと式内社丸笠神社の境内地で、前方部に拝所を設け、本殿を設けず直接古墳を祭る、古代の祭祀形式をとっていたと考えられるている。
 過去に埴輪が出土したと伝えられる以外は詳細不明であり、前方部も削平されているが、本市域では上代町の黄金塚古墳に前後して築造された前期古墳(四世紀末頃)として貴重である。
平成10年3月
和泉市教育委員会

社頭掲示板



丸笠神社

丸笠は麻呂加佐と訓べし○祭神分明ならず、(社説には、熊野神といふ、)○上條郷伯太村丸笠池側に在す、(和泉志、式社考、)
神位
國内神名帳云、從五位上丸笠社、

神社覈録





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