穂椋神社【春日神社境内社】
ほくらじんじゃ           . 所在地ボタン 社名ボタン















   【延喜式神名帳】穂椋神社 和泉国 和泉郡鎮座
          (旧地)金刀比羅神社

   【現社名】穂椋神社
   【住所】大阪府和泉市三林町591番地
       北緯34度27分2秒,東経135度28分59秒
   【祭神】天忍穂耳命・保食神
       『和泉国地誌』「保食神」
       明治12年『神社明細帳』「祭神不詳」

   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】『和泉国神明帳』によると神階は従五位上
       明治5年(1872)村社
       大正4年(1915)7月春日神社に合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】和泉市和田町小倉山に鎮座していた
        大正4年(1915)7月春日神社に合祀

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「天神」と称していた
   【公式HP】 春日神社
   【社殿】本殿
       

   【境内社】

郷社「春日神社」に大正4年7月から合祀されているが、それ以前は、和泉市和田町小倉山に鎭座していた。
本殿向かって右に2社並んでいる小祠の左を穂椋神社とする。
池田郷の「一の宮」と称される名神ながら由緒は未詳である。
和田には穂椋神社の後に創建されたと思われる金刀比羅神社が自動車教習所南に鎮座している。


春日神社

590-02 大阪府和泉市三林町591
(0725)55-0627
[御神徳]交通安全・厄除開運・子孫繁栄・学業成就
[御祭神]武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売大神・菅原道真公
[御由緒]今から約1200年余り前の称徳天皇の神護景雲2年11月9日奈良の都の護りとして三笠山麓・春日の地に奈良の春日大社が草創された。古老の話によると常陸国・鹿島神宮から武甕槌命を、下総国・香取神宮より経津主命を大和国三笠へ御遷座の時、白鹿に乗って天降り都の鎮護神となられたと言われているが、実は今の茨城県鹿島から太平洋岸を伝って大阪湾に入り、池田川(槙尾川)を逆上り、三林の地で上陸したらしい。そこで土地の人々が集まって頓宮を造りお迎えしたのが三林春日の始まりと言われている。
従って、当社の創建は奈良の春日神社より古いということである。
当時、、この地に三所の森林があり、官有であったところから「御林」と言われたが、或る時、この森林に悪党が立て籠もり近隣の人々を悩ませた折、春日大神及び白山姫大神を祈り、神の御加護によって無事凶徒を退治した国主が村名を「三林」と改めたという。往時、八月十六日の例祭には、豊作を祈願し、各村の若者達が社前で競って獅子舞を奉納したと伝えられている。現在も10月10日の例祭には十台の子供だんじりが出てにぎわう。
[祭日]
例祭  10月10日
春日神社年間行事
1,元旦祭  一月一日   1.成人祭 一月十五日
1.節分祭  二月三日   1,建国記念祭 二月十一日
1.秋季例祭 十月十日   1.冬宮祭 十二月十一日
1.天皇生誕祭 十二月二十三日
1. 除夜祭 大祓 十二月三十一日
郷社春日神社合祀社(大阪神社史資料)
合祀年月日 旧所在地 社格 神社名 祭神
明治42年5月5日 北池田村大字坂本字清水 村社 嚴島神社 市杵島姫命
〃 42年7月10日 南池田村大字浦田字山原 無格社嚴島神社 市杵島比売命
〃 〃       〃大字浦田字垣外    村社 白山神社 白山姫命
〃 〃       〃大字和田       〃  白山神社 白山比費命
〃 42年8月26日 〃大字三林字梶山    〃  白山神社 白山姫命
〃 〃       〃大字平井字垣外    〃  春日神社武甕槌命・経津主命
・天児屋根命・比淘蜷_
〃 〃       〃大字平井字十禅寺   〃  日枝神社 大山咋命
〃 〃       〃大字平井字垣外    〃  熊野神社 伊弉那美命
〃 〃       〃大字国分寺丸笠    〃  八坂神社 素盞鳴命・櫛稲田姫命大年神
〃 〃       〃大字国分字畑中    〃  八百萬神社 八自萬神
〃 〃       〃大字国分字奥代    〃  佐太神社 佐太彦命
〃 〃       〃大字黒石字奥條    無格社八幡神社 品陀別命
〃 〃       〃大字黒石字八王寺   村社 黒石神社 若年神
〃 〃       〃大字鍛治屋字垣外   〃  若宮八幡社 応神天皇 大山咋命
〃 〃       〃大字萬町字幣垣    無格社幣垣神社 大碓命 菅原道真
〃 42年9月3日 〃大字納花字中域    村社  八幡神社 品陀別命
〃 42年9月16日 北池田村大字池田下字久保 〃  大年神社 大年神
〃 〃       〃大字池田下字泉財    〃  泉財神社 伊弊冊命
〃 〃       〃大字池田下字山深    〃  菅原神社 菅原道真
〃 〃       〃大字室堂字垣外     〃  白山神社 白山姫命
〃 〃       〃大字伏屋字宮の前    〃  菅原神社 菅原道真
〃 〃       〃大字池田下字中村    〃  菅原神社 大碓命 菅原道真
〃 〃       〃大字池田下字願成    〃  八坂神社 素盞鳴命
〃 〃       〃大字池田下字里中    〃  八幡神社 品陀別命
大正4年7月10日 南池田村大字和田小倉山 式内村社 穂椋神社 保食神
〃 〃       〃大字萬町字中出     村社 意賀美神社 白山比売尊 竈神

由緒書




春日神社

神護景雲年間常陸国より武甕槌命・経津主命が大和国御蓋(今の三笠山)に御遷座の砌り近郷の民、この地に集い頓宮を造営次いで天児屋根命・比賣大神を斎祀して春日大明神社と称し、池田国池田郷の鎮守としてと崇敬されるに至った。
爾来三林村・和田村・浦田村・万町村・鍛冶屋村・室堂村・池田下村の七ケ村が氏子としてこれを守護し、その社地四万六百八十坪、享保3年6月19日神祇官より正一位の神位を授かり、春日大明神と尊称さる。明治に至り、社格郷社同40年神饌幣帛供進社に指定され、同42年9月南池田村及北池田村の村社、無格社を、大正4年7月和田小倉山の式内穂椋神社、万町中 の意賀美神社を合祀し現在に至る。
末社に玉福稲荷神社あり。

社頭掲示板



春日神社

神社の草創期前、古墳時代後期(六・七世紀)に構築された古墳が本殿裏や参道両側に現存しています。これらの古墳群は地元の有力な氏族を祭祀したものと考えられています。その後の奈良時代、神護景雲2年(768年))常陸国より武甕槌命・経津主命が大和国の御遷宮のみぎり、近郷の民はこの地に集い頓宮を造営しました。次いで、河内の天児屋根命、比賣大神を祭祀して春日大明神とし、和泉国池田郷の鎮守として崇敬されるに至ります。
 参道脇の古墳官地にして御林(みばやし)、上林(かみばやし)とも称され、固有の神として氏神、産土の神、鎮守の杜 となり広く生活の中に伝承されてきました。江戸時代の享保3年6月19日、神祇官より正一位の神位を授かり、南池田村、北池田村(七か村)を氏子として守護、その社地四万六百八十坪(境内五千百坪)を所有しています。
■穂椋神社(ほくらじんじゃ)
【御祭神】 保食神(うけもちのかみ)
大正4年に和田町より合祀 式内社 「うけ」は大和言葉で食べ物を表す語で食料の神様

社頭掲示板



郷社 春日神社

祭神 武甕槌神 天児屋根命
称徳天皇神護慶雲年間の創祀なりといふ(社記)、後柏原天皇永正年間春日講式には上林神祠と記せり、室堂村施恩寺祭事を司る(名所図会)、中御門天皇享保3年6月神祇官領より正一位を授けられ、明治6年郷社に列す、境内5100坪(官有地第一種)社殿ば本殿、幣殿、其他廊下、神饌所、説教所等の健物あり。

明治神社誌料



穗椋神社

穗椋は保久良と訓べし○祭神詳ならず○池田郷和田村小倉山に在す、(和泉志、式社考、)今天神と称す、(式社考)
類社
撮津国兎原郡保久良神社
神位
國内神名帳云、從五位上穂倉社、

神社覈録



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順悠社