愛宕神社
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   【延喜式神名帳】火電神社 和泉国 大鳥郡鎮座

   【現社名】愛宕神社
   【住所】大阪府堺市中区福田
       北緯34度31分18秒,東経135度31分34秒
   【祭神】愛宕神
       『大阪府史蹟名勝天然記念物』「祭神古來不詳」
       明治12『神社明細帳』別雷神
       『和泉国式内社目六稿』火雷大神
       『和泉国式神私考』火之焼速男神
       『特選神名牒』火雷命

   【例祭】
   【社格】旧村社
   【由緒】明治5年(1872)村社
       明治41年2月陶荒田神社ヘ合祀

   【関係氏族】
   【鎮座地】この地が旧来の鎮座地

   【祭祀対象】雷神
   【祭祀】江戸時代は「愛宕地藏権現」、または「愛宕大権現」と称していた
   【社殿】本殿
       拝殿・社務所・手水舎

   【境内社】

社名がよく分からない神社である。
「国史大系本」では火電神社と記して「いなひかり」と読みを振っているが。
本文では「九條家本・金剛寺本・吉田家本ともに「大電神社」と記し、前二者は「イナヒカリノ」、吉田家本は「イナヒカリ」と訓む。しかし近世では「火雷神社」となり、「ホノイカヅチノ」と訓むよやうに変つてしまった。「大」と「火」、「電」と「雷」は誤読・誤写しやすい文字であるが、「イナヒカリ」と「ホノイカヅチ」の字義は全く別であるから、社名の称呼により祭神にも移動があつたものと考えられる。」
結局「大」と「火」、「電」と「雷」をどう組み合わせれば良いかは不明である。
由緒は不詳。
近世の俗称は「愛宕地藏権現」、または「愛宕大権現」であり、明治以後も「愛宕さん」と呼ばれていた。
神宮寺は嵯峨大覚寺末寺眞言律宗金龍山興源寺であり、その社僧が社務に関与していたと思われる。
明治41年2月、延喜式内社陶荒田神社へ相殿合祀された。
戦後陶荒田神社とは無関係で、百坪足らずの旧社地の一隅に小祠を建て、愛宕神を勧請して祭る個人が現われ、現在は旧地に愛宕神社が祀られている。
陶荒田神社からの分祀ではないので、正確には「火電神社の再建」ではない。


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