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元来豊御玉命を祀っていたが、建久6年(1195)5月鎌倉より八幡宮の分霊を勧請し土肥八幡宮と称した。街中の社で山ふもとに鎮座する。 楠の大木がある。 |
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土肥神社由緒 当神社の創立年代は極めて古く、既に延喜5年(905)延喜式神名帳に伊豆国那賀郡豊御玉命の神社、更に伊豆国神階帳に従四位上とよみ玉の明神とあり、□誌に土肥明神は祭神豊御玉命なるべし村名土肥は蓋し神名豊の転訛ならじ。社地は村落の中央にあり真に産土の神に座す。又古く社中にある御神は姫神なれば豆州九十二社の一なるを宿すともある。土肥大明神は郷土開発の霊神として今に至るまで奉斎 神徳の厚き所以である。 相殿若宮八幡宮祭神大鷦鷯命は相州鎌倉八幡宮の御分霊を建久6年(1195)豆州君沢郡稲田の庄土肥高谷の城主富永氏により勧請され天文19年(1550)両神社の社殿を再建し、 明治6年(1873)村社に列せられ、昭和33年(1958)拝殿を新築し愈々荘厳さを加え鬱蒼たる大樹林を背に益々崇敬の念を深くさせている。 社頭石碑 |
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露艦の錨 安政元年11月ロシヤの軍艦デイアナ號下田港に碇泊中安政の大津波のため暗礁にふれ損傷したので水師堤督プーチヤチンは戸田港を修繕場に定め下田港より戸田港曳航中季節風にあい沿岸漁船の救助も空しく遂に沈没したのである。郎ちこれがデイアナ號の錨である。 昭和46年9月吉日土肥神社 社頭掲示板 |
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木くぐり之由来 土肥神社は豊御玉姫命を祭神としてお祀りしています その昔水、海、山、農、漁の神々即ち産土神をお祀りして里人は此の辺り一帯の岩山や森の巨木を御神体と崇め聖域としました又此の社の石垣は江戸城築城の際築城石を切り出した薩摩藩の石工達に依って築かれたと云われ石切や石積の時に歌われた仕事歌が今日迄伝承されている「さつまころがし」と云われ秋の例大祭や節分祭の直会の席で謡われています。 二本の御神木に張られた注連縄の上を良くご覧下さい槙の枝を楠が包み込んで一体となり結び合っています丁度鳥居のようにも見え大変珍らしい事です人々は此の木の間を潜ると良い事が起り合格を念じて潜れば学業成就し縁結びを願って潜れば良縁に恵まれ今では商売繁盛家内安 全交通安全長寿にボケ防止とそれぞれ心願成就を祈願しながら潜ります木と樹の間を潜り通るところが訛って単に木くぐりと云われています これからも鎮守の森を癒の森として大切に守って行きたいものです 社頭掲示板 |
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土肥神社さつまころがし 平成23(2011)年9月29日指定 土肥神社は、古くは平安時代の『延喜式』にある「那賀郡豊御玉命神社」と思われますが、その起源はわかっていません。豊御玉命は、富と権力、子孫繁栄、水の恵みを司る女神といわれています。 無形民俗文化財の「土肥神社さつまころがし」は、古謡「神代節」とも呼ばれ、土肥神社の秋の例大祭や節分祭の直会に奉詠される祝い唄で、その独特の節まわしに特徴があります。 この唄は、江戸時代に土肥に立ち寄った薩摩藩の石工達が当神社の石垣を築いた時の仕事唄が伝承されたものといわれ、神社の氏子及び各地区から選抜された「土肥神社さつまころがし保存会」により継承されています。 「さつまころがし」は、土肥地区の住民と薩摩藩の右主達による交流を通じて、新たな土肥の文化を創出したという特色を残す貴重な郷土芸能です。 伊豆市教育委員会 社頭掲示板 |
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豊御玉命神社 豊御玉は登興美多麻と訓べし○祭神明か也○在所詳ならず 神位 國内神階記云、從四位上とよみ玉姫の明神、 神社覈録 |