国玉神社
くにたまじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】国玉命神社(前に記載A) 伊豆国 那賀郡鎮座
   【延喜式神名帳】国玉命神社(後に記載B) 伊豆国 那賀郡鎮座

   【現社名】国玉神社
   【住所】静岡県伊豆市小土肥 669
       北緯34度55分22秒,東経138度47分25秒
   【祭神】大国主命
   【例祭】4月3日 例祭
   【社格】
   【由緒】創立年月日不詳
       文亀9年(1509)造営
       応永年中洪水にて神社及宝物流失

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の有無不詳

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿木造流造間
       

   【境内社】

延喜式神名帳の伊豆国那賀郡に、国玉命神社が二社あり比定に混乱が生じている。
大川の南岸に接した小祠。


国玉命神社

延喜式神名帳の伊豆国那賀郡廿二座のうちに、国玉命神社が二社あり、ABとする。
A社については、現在の諸口神社に充てるものと、国玉神社とする二説が存在する。ところが、B社についてみると、現在の浦守神社に充てる説、国玉神社に充てる説、諸口神社に充てる説の三説が存在する。つまり、国玉神社および諸口神社は、A社の論社であり、B社の論社でもあるといふ複雑な関係になつているのである。

式内社調査報告



国玉神社(御社サン)の由来

『子宝の湯、子宝の松』の民話とアスネロの樹
コン吉とキツネ火
 古民話に、天城山頂と久能山頂のキツネ城に王様がいた。仲の悪い原因は駿河湾の所有権。天城の駿河湾だ、久能の駿河湾だと共に一歩も譲らず、常日頃にらみ合っていた。天城の城にはコン吉という美少年王子、久能の城にはコン子という一人娘の姫がいた。二人はいつしか恋心が芽生え、コン吉は泳いで三保の松原、羽衣の松の木陰で愛のひと時、いつしか双方の王様に知れ、結婚どころか二人の王様の仲の悪さは増すばかり。二人は家出を誓い、コン吉は三保海岸から良く見えるキツネ岩にキツネ火を焚き、コン子は故郷の形見に羽衣の松ボックリを口にくわえ、キツネ火をたよりに八里(30Km)の海、大土肥海岸をめざし泳ぎ着きました。
コン子と白酒(甘酒)に、ぬる湯
 コン子は子どもがお腹にあり、疲労と冷えで息もトギレトギレ、驚いたコン吉はコン子を抱き上げ、ぬる湯(天城の湯)に入れると湯量がコンコンと増えて湧き、白酒(甘酒)を飲ませ体を温め介抱のかいあって、コン子は元気を取り戻し、この時に口にくわえた松ボックリを湯の河原に落としました。二人はキツネ岩に住みつき、コン吉は体の衰弱がひどいコン子に毎日、白酒とぬる湯で母体を温めたので元気になり、無事、子供を産む事ができました。そして、駿河の国伊豆君澤郡大土肥村狐岩城主となり、仲の悪い二人の王様も孫の笑顔を見て、共に笑顔。コン吉コン子も民に親しまれ、近郷の里人はいつしか、ぬる湯を後世「子宝の湯」と言うようになり、小土肥温泉の源泉です。
国玉神社(お社サン)と子宝の松
樹高 約百尺(33m)
 湯の河原に、落とした松ボックリが芽をだし、すくすくと大きくなったので誰言うことなく「子宝の松」(樹齢千数百年)と呼ぶようになりました。里人は、お産の守り神、国玉姫の命を御神体に、子安の神と鬼子母神をまつり、国玉神社を造り、子孫繁栄、産前産後と赤子の産着初参り、子供に恵まれない人、四百四病の難病非行悩みごとは、子宝の松に抱きつき参拝祈願すると子どもが授かり、悪魔を御払いする御社サンの有り難い神話があります。桃の節句には、身も心も白く清める参斗八升の甘酒を奉納し、「甘酒祭」をして童の育成祈願をしております。
アスネロの樹とチンタチ草
 この里には、槙の樹を「アスネロ」、明日葉を「チンタチ」と言う方言がある。千数百年の年月、里人の幸福を授け、昭和半ばに枯死した子宝の松は鬼子母神となり童の育成を願っている。境内には槙アスネロの大樹と原野に明日葉チンタチ山菜が多く生えていて、里料理に授かりいつしか「子宝と夫婦の仲はチンタチを食べてアスもネロ」と夫婦花嫁のお参り、赤子の産着祝いに夫婦重ね餅を奉納、商売繁盛、豊作大漁、福に授かる祈願、長寿と足腰痛の礼参り、槙の大樹を抱く参拝者が多くなりました。近年、境内に愛をささやく若者が増え、恋の芽生えは「縁結び」に御利益が授かる「御社サン」参りと近郷の里人に愛されている「国玉神社」鎮守の御宮です。「子宝の松」弐代目誕生記念に「アスネロの樹」と命名、祝七五三〆(シメ)縄を奉納しております。
大土肥と土肥
 古伝説に金山奉行土肥金山街人の数が多く、大土肥は代官村郷で人の数が少ない。勢力争いの根源は川の手長海老を大土肥はガンジャ、土肥はジャンガ、川の小魚を大土肥はカアジ、土肥はモクンチョといまだに双方意地の張り合い。キツネ岩近くに勝負ヶ平の地名がある。どっちが本当か勝負したが未だに決着がついた話はないが、人数の多い 金山街を土肥、人数の少ない村郷を小土肥と円満決着したキツネ頓智古話もあります。後日、町政合併で土肥町になり現在は伊豆市小土肥になりました。

社頭掲示板



國玉命神社(A)

國玉は久爾多麻と訓べし○祭神明か也○小土肥村に在す、今大社と称す、(志)例祭月
伊豆志に、今主ナシ、只古キ木桙二ツヲ藏ム、と云り、
神位
國内神階記云、從四位上國玉姫の明神、

神社覈録



國玉命神社(B)

國玉は前に同じ○祭神明か也○在所詳ならず
神位
國内神階記云、從四位上國原姫の明神、

神社覈録



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