諸口神社
もろぐちじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】国玉命神社(前に記載A) 伊豆国 那賀郡鎮座
   【延喜式神名帳】国玉命神社(後に記載B) 伊豆国 那賀郡鎮座

   【現社名】諸口神社
   【住所】静岡県伊豆市戸田 2710
       北緯34度58分35秒,東経138度46分0秒
   【祭神】弟橘姫命
       『豆州志稿』『特選神名牒』『静岡県史』「国玉命」

   【例祭】4月4日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】康永2年(1343)『伊豆国神階帳』「従四位上国玉姫の明神」
        応永8年(1402)3月再建
        明治12年8月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「弁天」と称していた
   【社殿】本殿木造槍皮葺流造
       拝殿・手水舎

   【境内社】

『延喜式神名帳』の伊豆国那賀郡に記されている2つの「国玉命神社」の内のどちらかだと推定されている式内社である。
延喜式神名帳の伊豆国那賀郡に、国玉命神社が二社あり比定に混乱が生じている。
砂洲の先端に鎮座し、参道は海に面する。
通称「弁天さん」と言われ海上安全の神社で、昔日本武尊が東夷を退治し関東を治める為航海してきたが海が荒れては困るので海上安全を祈願し奉られた神社であると云われている。


由緒

当社の創建由緒等詳ならざれども、増訂豆州志稿によれば、延喜式神名帳伊豆国那賀郡二十二座の内、国玉姫命神社にて伊豆国神階帳従四位上もろき姫の明神に座すとなす。
もろき姫、国玉姫、橘姫は同一神でもあろうか、現称諸口は、もろきと同語にて古来当社を弁天と称し、女神なること明らかなり。航海及漁業者の守護神とし崇敬厚く海上安全、大漁満足を祈願し、諸船この沖を通過するという。
応永8年(1402年)三月再建
明治12年8月村社に列す
現社殿は昭和28年4月改築
社宝
応永8年3月吉日棟札
鰐口武蔵国吉見郡久米田郷施主等敬白
諸口大明神 応永8年霜月15日とある(日本金石年表に見える)

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




国玉命神社

延喜式神名帳の伊豆国那賀郡廿二座のうちに、国玉命神社が二社あり、ABとする。
A社については、現在の諸口神社に充てるものと、国玉神社とする二説が存在する。ところが、B社についてみると、現在の浦守神社に充てる説、国玉神社に充てる説、諸口神社に充てる説の三説が存在する。つまり、国玉神社および諸口神社は、A社の論社であり、B社の論社でもあるといふ複雑な関係になつているのである。

式内社調査報告



諸口神社

岬の先端で海を見守る女紳が鎮座する社
日本一深い駿河湾を漁揚とする戸田港は、高足ガニをはじめ、多種多様な深海魚が水揚げされる天然の良港陀。 港から海を眺めると、湾に突き出た御浜岬の先端に赤い鳥居が見える。豊漁と海上守護の神、橘姫命を祀る諸口神社だ。創建年代は不詳だが、平安時代にはすでに人々の信仰を集めていたという。
神社へと至る道には、県の天然記念物に指定されるイヌマキが群生し、背の高い木々が茂る境内はうっそうとした雰囲気。石組みの上に鎮座する本殿に参拝し、心身を清めたら、前述の鳥居が建つ海岸へと出てみよう。
透明度の高い美しい海と往来する船、天気に恵まれれば、駿河湾のはるか先に霊峰・富士山を望む。
鳥居と冨士山が織り成す絶景が、英気を養ってくれることだろう。参拝後は、戸田で深海魚グルメを堪能するのもいい。その後は、飲食店や土産店がひしめく沼津港へ。海産物土産を購入したり、デイクアウトグルメを楽しんだり…お腹と心を満たしてから帰路につこう。

パンフレット



國玉命神社(A)

國玉は久爾多麻と訓べし○祭神明か也○小土肥村に在す、今大社と称す、(志)例祭月
伊豆志に、今主ナシ、只古キ木桙二ツヲ藏ム、と云り、
神位
國内神階記云、從四位上國玉姫の明神、

神社覈録



國玉命神社(B)

國玉は前に同じ○祭神明か也○在所詳ならず
神位
國内神階記云、從四位上國原姫の明神、

神社覈録



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