鎮座地は、標高355mある山の頂上である。 元は山上の石窟にあって、石倉の神名に合致していたと云う。 |
淺間神社由緒 祭神岩倉姫命 延喜式に載つている所謂式内社で、千年以上の歴史をもつ小下田最古の神社である。神社は再度の火災に遭った。元禄10年春、野火で焼失更に160年後の安政4年、中村大火の際飛火で境内悉皆焼失、翌5年新築、昭和に至って台風により社殿が破損したため、現在のコンクリート造の小祠に改築した。 増訂豆州志稿によれば「祠宇山上ノ石窟ニアリ、即石倉ノ神名ニ適エリ」とあって、更に元亀4年に地頭富永政家が護身仏の釈迦像を安置したこと、奥の院に大山祇神自然の石体が立っていることなどが述べられている。 古老の言によれば、繹迦像は純金製であったが、盗難に遭い失われたという。社傳には寛保3年以前は小下村十四社中の上位にして総鎭なりと記されている。寛政9年建立の鳥居も台風で倒潰した。 明治25年、函南村服部忠雄氏は式内社であるあることに注目して標石文碑を建立した。大正の初期までは、旧6月14日の例祭日は商店も多く出て賑ったが、現今はさびれている。 氏子一同は、郷土の歴史を物語るこの社を顯彰し、後世に傳えるために茲に由緒を刻した次第である。 昭和52年12月吉日 氏子一同 氏子総代 木村茂郎 山本徳平 小下田区長山田勘一 山田仁作 最福寺十五世廣澤憲雄撰並書 佐藤勘一 石工 小田切茂行 謹刻 吉川衛 社頭掲示板 |
淺間神社 伊豆國君澤郡西豆村小下田鎭座從四位上いはくら姫なりしが安政度の火災に神霊さへも失せこまへるよし既に伊豆國式内社考略にいはれたりしが干茲服部忠雄静岡縣君澤郡神官取締分所長となりて各神社を巡れる折柄此御社の甚だ荒れすたれたるを深くかしこみ憂ひて後の世に志ふり起すへきしるべをただ立てむと氏子の人々に議りて此石標立ることゝはなりぬ序に此の由記してよとこはるゝまゝに刻く志るすになむ 静岡縣神官取締所長官幣大社三島神社宮司正七位秋山光條 社頭石碑 |
石倉命神社 石倉は伊波久良と訓べし○祭神明か也 神社覈録 |