伊志夫神社
いしふじんじゃ 所在地 社名






















   【延喜式神名帳】伊志夫神社 伊豆国 那賀郡鎮座
          (旧地)伊志夫神社(旧地)

   【現社名】伊志夫神社
   【住所】静岡県賀茂郡松崎町石部98
       北緯34度43分49秒,東経138度45分21秒
   【祭神】大山祇之神
   【例祭】1月17日 例祭
   【社格】旧村社位
   【由緒】創立の年代は不詳
       明治6年8月村社
       同40年6月21日神饌幣帛料供進社指定

   【関係氏族】
   【鎮座地】当初鎮座の地は蝉宗院(浄土宗)の地
        現地への移転の時期不詳

   【祭祀対象】本来は石火を祀る
   【祭祀】江戸時代は「石火明神」と称していた
   【社殿】本殿木造流造
       拝殿・神饌所・祭器具庫

   【境内社】津島神社・三峰神社・秋葉神社・浜川神社

元の社地は今の社殿と石部の部落を隔てた反対側の字神田の地であり、禅宗院(浄土宗)の境内入口右側に雌・雄二石が残されている。
往古この石の上で神火を燃して海上交通に便を与えた石火の崇祀より起つた神社と考えられる。
雌石は背後の山に連なつて側面のみの露出であるが、雄石は地上に露出してをり、高さ約4m・周囲約12mで苔・蔦等が全面を覆つている。この石の頂上部の窪みの中にて往古火を燃やしたという。


伊志夫神社

石部名所 伊志夫神社由来
石部部落はは□□□「石□り、火を得て、火の文化」の礎を築いた石火民族発祥の地であります。
昔は村名を石火村と称し、先祖である土神は社地神田にある牝(高さ4.6m 周囲21.3m)牡(牝石よりやゝ小)の二石を石火明神として祀り、石の上の窪みで火を燃やし給うと伝えられている。
御祭神は富士浅間神社の父神大山祇命と言われ延喜式神名帳に伊志夫神社、神階帳に従四位の上いしひの明神と格付けされ、漁業に霊験があらたかです。
天保年間火災数々起こり「火」を「部」と改めたことは上梁文に示されて明らかです。「牛頭石火宮宝印」ときざまれた品、松崎町に存す。
陰暦1・5・9月の17日信者達は「御石講」と称しこの神社に詣で信仰極めて厚い。

社頭掲示板



伊志夫神社

約1,060年の昔、平安時代に編纂された「延喜式」にこの神社名がある。
しかしこれは、石火神社を書き違えたのではないか、という説もあり、天文年間の棟札には石火村∞石火大名神社≠ニ記され、その当時火災が頻発したために石部≠ニ改められ、それが現在の地区名になったものらしい。
いずれにしても石火≠フ名は火打ち石からでており、大昔、神田という所(現在の向組)にある夫婦岩の雄岩の上で火をおこしたといういい伝えが、それを裏づけている。
神社のご祭神は事代主命(恵比須さま_漁業と台所、商売繁昌の神)と、大山祗神_山をつかさどる神)。
この神社の神職は昔から石部の大屋家が代々受けついでおり、同家は雲見・上ノ山城※の城主高橋丹波守の同族、高橋和泉守六郎左衛門の子孫だといわれている。
また、ここに明治初期から伝わる神楽獅子には、舞いにもちいるものとは別に高さ・幅・奥ゆきともに45cmという大きな雄雌2つの獅子頭があって、1月18日鈴の舞い≠演じながら全戸をめぐり、悪魔払いを行なう。

松崎町HP



伊志夫神社

伊志夫は假字也、和名鈔、(郷名部)石火、○祭神詳ならず○石部村に在す、今賀茂郡に属す、(国図志)例祭
伊豆志に、神体は上古石ヲ祀ル、此神ノ古キ牛王松崎村ニ存ス、石火宮宝印ト刻ス、祠中ニ古鏡一古鈴二ヲ臓ム、と云り、
神位
國内神階記云、從四位上いしひの明神、

神社覈録



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