式内金村五百君和気命神社(かなむらいほきわけのみこと)とする。 奈古谷集落の西に突出した岬状の台地の上に鎮座する。 この地から古代住居趾の発掘と土器片・玉類の祭祀遺物が収集されており、この地は古代集落の営まれた処であると共に、祭祀場でもあつた。 また、御神体の石捧(石像ともいう)は縄文時代以來、近代に至るまで伝存されたものと云われている。 中世以降国清寺の勢力が盛んな時代にはその伽藍神とされ、江戸時代には「福生院」の持となっていた。 |
奈胡谷神社 奈胡谷神社のサイの神 サイの神は道祖神などの別名があり、古くから邪霊の集落 侵入を防ぐ神・旅の安全を守る神・子供を疫病から守る神な どとして庶民の生活信仰の対象になって来た。 奈胡谷神社境内のサイの神もその台石に宝暦4歳(1755) 12月14日と刻まれる如く250余年に亘り区民の振興の 的として親しまれ続けている。 しかし、長年の風雨に晒され崩壊の止むなきに至る現状で あるので、神社役員一同諮り、この桟に頭部及び胴部の一部 分を補修すると同時に新しい時代の庶民の願も込めて神社境 内へ新たにサイの神一体を寄進し設置する。 社頭掲示板 |
金村五百君和氣命神社 金村は加奈牟良と訓べし、枕詞歟考ふべし、」五百君は伊保岐美と訓べし、和氣は假字也、○祭神明か也○在所詳ならず 神社覈録 |