『伊豆国神名帳』に「正四位上瀬の明神」と記されている。 『豆州式社考案』は、式内社白浪之彌奈阿和命神社に比定している。 『特選神名牒』は、式内社引手力命神社に比定している。 白鳳13年(684)に発生した大地震に伴って海底が突然三百丈余も隆起して「琵琶島(びわじま)」と呼ばれる島が出現したため、同時期の地震で多くの土地が海没した土佐国から神が土地を引いてきたのだ、と考えた人々がここに引手力命を祀ったのが最初、と言われる。「琵琶島」はやがて砂洲の形成により陸繋島となり大瀬崎となった。 |
大瀬神社 祭神 引手力命 一.例祭 4月4 日 当神社は、白鳳13年(684)大地震が起き、土佐国で多くの土地が海中に没した反面、突然三百余丈も盛り上がり島が誕生したとある。又土佐国から土地を引いてきて島を造ったという伝説もある。その神霊を感じて引手力命を祀ったとされる。 一.当社は古来から力技射術の霊験があるといわれ、源為朝、頼朝が源氏再興を祈願し弓矢、兜、宗近の銘刀、政子御前が御神鏡を奉納されたとある他、各時代の武将御太刀を奉納されており、源氏の再興もかなえられ再三参拝されたと記されている。 一.建武年間(室町時代)熊野より水軍の武将鈴木繁伴一族が近辺を領し、祭祀にいそしむとあるが、その後の地震津波により社弓矢など皆失われてしまった。しかし金銅尊躯を砂中で発見。再建、海の守護神として駿河湾一円の漁民の崇敬尊信篤く今日に至る。 一.現在の社殿は火災により昭和14年に再建されました。 一.先端には燈台・樹齢千数百年以上の幹廻り6m以上のびゃくしん御神木をはじめ、天然記念物・びゃくしん130本余り樹齢1000年以上の木も多数あり古木館大正天皇参拝記念碑あり。 一.周囲300m、海之干満との関係する底なしの池とされながら真水で数万匹の鯉・鮒・なまづ等の淡水魚が元気に泳いでおり神秘的で人々のみそぎの池であり伊豆の七不思議の一つである。 社頭掲示板 |
大瀬神池 此の神池は岬角の末端より内に少50m謂はば薄皮に包まる饅頭の如く面積6100uの霊池にして縁には、葦アブラカヤ多数繁茂し鯉・鮒・鯰等の淡水魚数多く群棲す海に近い観念を一変して奥深き山湖を偲ばしめる誠に神池といふ相応しき光景である。海浜僅か50mに隔つる自然の淡水池を見るは実に奇異と云はざるを得ず潮の気配聊かもなく伊豆七不思議の一つに数えられ池には池明神(水波之売神)を祀り諸入等の信仰篤く今も尚池及魚に依って種々の心願を掛け若し池に入り魚を害するときは神罰覿面と云はれ昔より今に此の不成文の禁を犯したる者が或いは死し或いは精神喪失その他不慮の危難に遭遇したる実例を伝え相誠めて居る。依って今尚池水の深浅底壁の組織の如き実地調査したる人無く伝説によってこの神池は保護されている。岬には神木と云はるゝぴやくしんあり相並びて不思議のこの池ありこれ等大瀬岬の荘厳と絶勝とを添え敬神上保勝上学術研究上之を永遠に保存するものなり。 大瀬神社 社頭掲示板 |
引手力命神社 延喜式内 引手力命神社 当神社は延長5年(927〕延喜式神名帳に全国2861社の一つで正四位上御明神と記され宮中に祭祀が行われた官社であり由緒ある神社である。 社頭掲示板 |
郷社 大瀬神社 祭神 引手力命 創立年代群ならず、但し神階帳に、正四位上瀬の明神と見えたり、古来七浦の総鎮守にして、船夫、漁夫の崇敬特に厚し、往昔源為朝、大島流罪の際、其甲冑、弓矢を当社に納め奉れりと伝へたり、三津村気多明神の旧記に、「七浦の総鎮守の神御瀬大明神云々」と見えたるが、明治6年郷社に列せらる。 社殿は本殿、幣殿。拝段を具備す、寛文2年の再建なりと、境内は434坪(官有地第一種)あり、眺望絶佳の地にして、相山駿海一眸の中に在り。 豆州志稿当社を以て、式の引手力命神社とせり、然るに式の引手力命は、是より先、豆州志、十足村手力雄山を以て手力命に擬せしが、考案は、神階帳に正五位下ひたの皇子と見えたる、肥田村神社とせり、特選神名牒は以上三説を逐一弁じて、当社を以て式の手力命神社とするは最も傾聴に値すとせり、其説に云く、 今按、豆志に引手力命神社(十足村)手力雄は山名也、云々、手力雄山の名によりたるにて、他に証あるに非ず、一説に、塚本村萬後明神ならん、豆志に昔肥田塚、本一村なり云々、こは肥田の村名によりて、引手の約とせる説なれば信じがたし、又一説に、江梨村大瀬明神なるべし、神階帳に正四位上瀬の明神とみゆ、斯て引手力命なるべしと云ふ故は、天武天皇紀13年10月壬辰、逮于人定大地震、云々、有人曰、伊豆島西北二面自然増益三百余丈、更為一島、則如鼓音者、神造是島響也と有事迹を敬るに、此大瀬崎、則全国の西北隅に当りて、疑无く此時神造に成し所と聞え、増益三百余丈、更為一島一と有に能も適当せる所なるに、既に先輩も云る如く、土佐の国地を引来て縫付給へる事と聞ゆれば、其御事實に因て、引手力と云御称を負せ奉れることと思はるればなり、然れば古くより弓引業をはじめ、手力を用ふる事に幸給ふ神験の著明なるも、神名に協へる事なりと云るによりて、云々、姑く之に従ふ、されど天武紀の云々、弓引業云々、附会に近し、猶よく考つべき也」 明治神社志料 |