火牟須比神社
ほむすびじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】火牟須比命神社 伊豆国 田方郡鎮座

   【現社名】火牟須比神社
   【住所】静岡県伊東市鎌田391
       北緯34度57分12秒,東経139度5分9秒
   【祭神】火産靈命
   【例祭】10月14日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】明治7年5月村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】往昔上大見村原保より移した
        天正年間鎌田字御幣畑から愛宕神社を現在の鎮座地に遷座

   【祭祀対象】
   【祭祀】
   【社殿】本殿
       拝殿

   【境内社】

火牟須比神社も今は式内であることは謳っていない


由緒

草創の時代は詳ではないが愛宕神社、来宮明神とも称し(元和3年及寛保元年の棟札参照)豆州志稿及安政4年の鎌田村々鑑には往昔上大見村原保より移した旨の記載があり又豆州志稿鎌田村々鑑寛保元年辛酉年の棟札には天正年間鎌田字御幣畑から愛宕神社を現在の鎮座地伊豆ケ木へ鎮座した由を記してある。明治7年5月村社に列した。尚当神社の元鎮座地の小字名伊豆ケ木は厳神垣の意で神社があった為の名付けられたものだと言い伝えられる。火災鎮火、防火の守護神とし崇敬されている。

全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年




火牟須比神社

当神社の神霊は昔、伊豆国上大見村原保の地より鎌田の里御幣畑(現在の阿原ヶ沢)に遷され、当時は愛宕神社と称して信仰崇敬されていた。交通上不便を理由に天正年間(1573−92)御幣畑から現在地伊豆ヶ木(厳神垣=神聖な所の意)に遷座し、従来この地に祀られてあった来宮明神とともに合祀した。

『田方神社誌』



火牟須比神社

頼朝の愛児千鶴丸と、おとどいのタチバナ
源頼朝と、伊東の領主祐親の娘八重姫との間に生まれた千鶴丸は、平家を恐れて、この上流の稚児ヶ淵へ沈められたといわれます(曽我物語)。その途中、千鶴丸をあやすために、このお宮のタチバナの枝を千鶴丸の手ににぎらせました。千鶴丸の遺骸は、富戸へ流れついて、富戸の三島神社の若宮になったといわれ、三島神社の社前のタチバナは、千鶴丸が握りしめていたタチバナの枝が根づいたものだと伝承されています。そこで、この二つのお宮のタチバナは「おとどい(兄弟)」のタチバナといわれています。
伊東市教育委員会

社頭掲示板




火牟須比神社

鎮座地 伊東市鎌田751番地
御祭神 火産霊命
例祭日 10月15日
由緒
創建の年代は詳かでないが、元和3年、及び寛保元年の棟札や、安政4年の鎌田村鑑によると、、当神社の神霊は、当初伊豆国上大見村原保の地より、鎌田字御幣畑に遷され、愛宕神社として祀られていたが、天正年間御幣畑から現社地伊豆ヶ木(厳神垣)に遷され、来宮明神と共に合祀され、明治2年社名を火牟須比神社と改称、明治7年5月村社に列し、以来鎮火、防火の神として信仰されている。

社頭掲示板



火牟須比命神社

火牟須比は假字也O祭神明か也○カマタ村に在す、今賀茂郡に属す、(国図)〇日本紀神代巻上、一書曰、伊弉册尊生火産霊時、爲子所焦而神退矣、○式九、(祝詞)鎭火祭、云々、麻奈弟子爾火結神生給氏、美保止被焼氏石隠坐氏、
考証云、今曰、雷電宮、在伊豆権現上宮束傍

神社覈録



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