三嶋大社元摂社。三島にあった国府から沼津の楊原神社を遥拝するための拝所とする説がある。また、沼津の元社の地(字を楊原と称した場所)が駿河国に編入されたことにより中島に遷祀、のち同所に徳川家光が御殿を営むにあたって現在の三島市北田町に遷座したという。 |
楊原神社 鎮座地 三島市北田町4番7号 御祭神 大山祇神 事代主神 例祭日 7月5日 由緒 三嶋大社の境外摂社、伊豆国の三ノ宮と称せられ、伊豆国の名社である。 本社は昔、駿河国駿東郡香貫村(沼津市)の地にあったが後に伊豆国地内の本社三嶋大社の鎮座地三島市小中島に遷座して地名をも楊原と称した。そして元和9年(1623)徳川家光が社殿を現地に遷しまつったと伝えられる。 古くから、災難除、病気平癒、安産の神として篤い信仰がある。 社頭掲示板 |
楊原神社 三島市役所の裏側(西側)に回ると、楊原神社があります。三嶋大社に次ぐ古い神社で、伊豆国(いずのくに)三の宮です。祭神は大山祇命(おおやまづみのみこと)と事代主命(ことしろぬしのみこと)で、田町の氏神様(うじがみさま)として祀られています。 『豆州志稿』(ずしゅうしこう)(注1)によれば、この神社は式内社(注2)で、そのころ伊豆国領内であった沼津の香貫に祀られていましたが、国境が変わったため、「伊豆三島御殿地(注3)に遷祀(せんし)(注4)された」と記されています。ところが元和(げんな) 9年(1623)、第三代将軍家光上洛のために三島御殿を建てるに当たり、現在の地(三島市役所西)に移転されたそうです。 鳥居をくぐると、すぐ右側に三島の七石(ななせき)の1つ蛙石(かえるいし)があります。そして樹齢300年というケヤキの大木が、本殿を囲むように立ち並び、この神社の古い歴史を物語っています。 (注1) 作者は秋山富南で、伊豆の国の地理、地形、里程、村落、川などが詳細に記録されている。 (注2) 『延喜式』の神名帳に記載されている神社。延喜式とは、平安時代、宮中での年中儀式や制度などを漢文で書いたもの (注3) 今の三島市立社会福祉会館の辺りで、もとは楊原と言われていた所、後に御殿が建てられたため御殿地となった。 (注4) 神社を移すこと 出典 『三島市誌 下巻』p.559、『田方神社誌』p.7、 『Welcome toふじのくに 三島』p.77 三島市HP |
蛙石 蛙石は、神社入口から見ると、いかにも蛙が向こう向きに座ったような形で置いてある自然石である。 昔から「三島の七石」の一つとして宿場に住む入々に親しまれ、愛されてきたという。その形状が親しみ深かったのだろう。 平成8年3月 三島市教育委員会 社頭掲示板 |