大宮神社
おおみやじんじゃ 所在地 社名















   【延喜式神名帳】大朝神社 伊豆国 田方郡鎮座

   【現社名】大宮神社
   【住所】静岡県伊豆市上白岩 422
       北緯34度57分55秒,東経138度59分7秒
   【祭神】大己貴命
       『増訂豆州志稿』祭神不詳

   【例祭】10月15日近い日曜日 例祭
   【社格】旧村社
   【由緒】弘安3年(1280)3月造営
       応永6年(1400)造営
       明応7年(1498)造営
       寛永5年(1628)造営
       文化6年(1809)造営
       明治6年村社

   【関係氏族】
   【鎮座地】移転の記録はない

   【祭祀対象】
   【祭祀】江戸時代は「白岩大朝神社」と称していた
   【社殿】本殿一間社流造銅葺
       拝殿

   【境内社】

体育館の東に鎮座する。
社名は本來「大麻」神社とすべきところを、官社とするときに大朝という文字を充てたと思われる。
狩野川の大きな支流である大見川と、これに合流する西川との間にはさまれたところの田圃の間に島のように盛り上つた丘の上に鎭座している。


大宮神社

町指定文化財
大宮神社の社叢(森)
大宮神社は、下大見村社として、古くから周辺の住民から崇敬されておりました。
祭神は大己貴命(大国主命)といわれ、古い棟札に弘安年間(1278)のものがあり、かなり古いものと思われます。
位置的にも、富士を見、上白岩遺跡が正面にあり、池名として元村の名があるところからも、当地方での最古の歴史をもつ神社であることか想像されます。
境内の面積は、7712.4uの広大な敷地に及ぶ大木かうっそうとおい茂り、荘厳な野鳥の楽園となっています。
中伊豆町教育委員会
昭和55年指定

社頭掲示板




大宮神社

鎮座地 中伊豆町上白岩422番地
御祭神 大己貴命・大国主命・大山祇命
由緒
当神社の創建は詳かではないが、古来式内社白岩大朝神社と呼称され、古い棟札が多数保存されているが最古の棟札は弘安3年(1280)があり、神録によれば神社は日吉山王21社の祖神であり、境内社に来宮神社・八幡神社・山神社・熊野神社・姥神社・諏訪神社・水神社・金刀羅神社・稲荷神社が祭祀され神社近くに縄文時代の遺跡が発掘されており歴史をしのぶ由緒ある神社である

社頭掲示板




大宮神社

参道から石段を昇つた左手、拝殿の方からは右手の手水舎の前に、見なれない石塚がある。数個の石を組み合はせた上に、高さ56cmの刀劒形の古色を帯びた石を立ててある。土地の人たちからは「地主さん」と呼ばれ、その前を掘ることを禁忌とされてゐるといふ。石組みは後世のものかも知れないが、本体の立石はたぶん彌生時代の頃からこの場所に祀られてゐたやうに思はれる。また石塚から左30mほど離れた境内の森のなかに、古墳の跡らしいところがある。径約3mの周りを葺石で囲んである。

昭和52年2月から6月にかけて、當社の南方200mのところを発掘した結果、直径12mの関東では珍らしい環状列石が発見された。この環状列石は縄文時代のものと確認されてゐる。・・・・それではいかなる神を対象として祭祀が行なはれたかといふに、上白岩の環状列石の近くには大湯などのやうな美しい山はなく、そして正面には、大宮神社の美しい神秘的な森があるだけだから、この森を神として拝祀してゐたものと思はれる。してみると、大宮神社すなはち大朝神社の起源は、はるか縄文時代にさかのぼることにならう。

式内社調査報告



大宮神社の社叢

市指定文化財 大宮神社の社叢(森)
大宮神社は、下大見村社として、古くから周辺の住民から崇敬されておりました。
祭神は大己貴命(大国主命)といわれ、古い棟札に弘安年間(1278)のものがあり、かなり古いものと思われます。
位置的にも、富士を見、上白岩遺跡が正面にあり、地名として元村の名があるとことからも、当地方での最古の歴史をもつ神社であることが想像されます。
境内の面積は、7712.4uの広大な敷地に及ぶ大木がうっそうとおい茂り、荘厳な野鳥の楽園となっています。

社頭掲示板



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