岬の山上に鎮座する。三津と長浜間のトンネルの上にある。 内浦湾は2Km強の長い弓なりの浜辺が続いている。この地形より「長浜」の名が起こったと考えられる。 鎮座の地から秀麗な淡島と富士山が重なって見える、往古この地に住みついた人たちが、ここから淡島を拝し、この秀麗な島山を神の山として、これを祭つたと思われる。 本来の祭神は、美しい淡島そのもの、あるいはこの島山の山霊であつたと思われる。 大正の初めごろに、同じ長浜部落の南端に近いところにある小比叡神社に合祀さたが、合併後間もなく疫病が流行し、死没する者が続出したので、二、三年の後に再びもとの社地に復帰することとした。 神津島長浜に鎮座している阿波命神社の分祀と考える説がある。 |
長濱神社 長濱は奈賀波麻と訓べし○祭神詳ならず〇君澤郡長濱村に在す、今神明と称す、(国図志)例祭 伊豆志に、此処ヲ麻坂ト云、海涯ヲ麻ノ谷ト云フ、古コノ処麻自ラ生ノ、一夜ニ樹ヲ為ス、故ニ名トス、相傳ル俚歌ニ「麻ノ坂ニ麻マキソメテウミソメテ磯ニヘサセテ浪ニオラセン、 と云り、連胤按るに、上に倭文神社のあるも此ゆゑにやあらん、 神位 國内神階記云、正四位上長瀬の明神、(瀬は濱の誤歟) 神社覈録 |