当社を倭文神社に比定する説もある。 |
由緒 創建年代は詳かでないが部落開拓以前からの鎮座を伝える最古の上梁文には永正9年(1512年)壬申霜月26日とあり、大日本国伊豆州狩野庄槻瀬村聖宮大明神添垂後為人民守護也とある。 寛文8年天照大御神、宝永5年八幡神、元禄10年菅原大神の上梁文あり合祀したものとおもわれる。現在の本殿は寛政2年(1790年)より同4年9月28日に至って建立され現在の社殿は昭和56年氏子の浄財と労力奉仕で改築されたものである。なお聖宮大明神は聖ヶ森に鎮座せしを明治9年この社殿に合祀主神と祀ったものである。 境内祖霊社は明治4年8月当時韮山県の許可を得て村内神徒の霊を祀る為建立された。 全国神社祭祀祭礼総合調査 神社本庁 平成7年 |
聖神社永正の棟札 聖神社は昭和56年に現在の社殿に改築されましたが、それ以前は茅葺きの社でした。屋根の葺き替え(20年に一度)の際の棟札が30数枚保管されていますが、これはその最古のものです。村名に「槻瀬村」とあり、月ヶ瀬の地名の由来をうかがわせる興味深いものです。縦32cm、横10.5cm。 「大日本國伊豆州狩野庄槻瀬村/聖宮大明神添垂後人民守護也/御供之田地一旦子祗兵衛四良殿/大工神余中嶋与四良殿 永正九壬申霜月廿六日」がその文面です。裏面は享禄五年(1532)秋の葺き替えの際の棟札と見られます。永正九年は1512年に当たります。 平成2年2月27日指定 伊豆市月ヶ瀬1聖神社 社頭掲示板 |